タヌキおやじの日々の生活     

岡部ださく「世界の駄っ作機―番外編・蛇の目の花園」


番外編は、駄作機ではないらしい。
蛇の目的な飛行機というと、珍飛行機の類であろうか。
説明がないのでわからないが、察せということであろう。

目次
序 花園と言うには、あまりに奇怪な”花”ばかりが登場する。
   そんな花だから立体にしてみたくもなる 佐竹政夫
JH001 RAFサンダーボルト イギリスの雷電は日陰の花
JH002 ソーンダーズ・ロウ(SARO)SR.177 損だ、苦労だ、あんまりだ
JH003 ホーカーP.1121 有人軍用機抹殺計画
JH004 ホーカーP.1129 英国の超音速はやはり幻
JH005 ショートP11DとE.E.P17A 親ガメ転けたら皆転けた
JH006 デハヴィランドD.H.115ヴァンパイアT.11 デハヴィランドの吸血鬼
JH007 ヴィッカーズ タイプ660ヴァリアント 爆撃トリオの命カゲロウ
JH008 BAe P.1214-3 X字翼戦闘機 天翔けるXはただの客寄せ
JH009 ハンドレーページH.P.54ハーロウ ズボラなロートル、一花咲かせる
JH010 エアスピードA.S.31単葉機 姿に似合わず絶叫マシン
JH011 グロスターF.5/34単座戦闘機 頑丈一本槍物語
JH012 F.5/34マーチン・ベイカーMB.2 軽量・単純・頑丈・不採用
JH013 ベルP-39カリブー(またはエアラコブラⅠ) 捨てる神、拾う神
JH014 CACワイラウェイ OZ、果敢に挑戦す!
JH015 スーパーマリン タイプ355/385スピットファイア水上戦闘機 非公式名「野良鯰」活躍せず!
JH016 グロスターミーティアF.MkⅠ ジェット技!飛行爆弾翼返し
JH017 スーパーマリン タイプ379 スピットファイアMkXⅠV ストップギャップはRAFの友
JH018 CAC(コモンウェルス航空機会社)CA-15 南の空に消えたカンガルー
JH019 プロジェクト・タービンフライト 秘密指令「空飛ぶ探照灯作戦」
JH020 デハヴィランドD.H.60モス・シリーズ その1 イギリス鱗翅類図譜 前編
JH021 デハヴィランドD.H.60~89モス・シリーズ イギリス鱗翅類図譜 後編
JH022 ソッピースL.R.T.Tr三葉機 飛行機界の三葉虫でございます
JH023 ブラックバーンR.1ブラックバーン 醜い飛行機は時に良く飛ぶ
JH024 ヴィッカーズ ヴィルデビーストMk.Ⅰ~Ⅳ ジョンブルと野獣
JH025 ブラックバーンB-6シャーク それでもサメは沈まない
JH026 フェアリー・ソードフィッシュ ストリングズバッグは複葉機のチャンピオン
JH027 フェアリー バトル フェアリー、爆撃機も作ってます
JH028 ブラックバーンB-29スキュア 盗賊鴎はロック鳥の悪夢を見るか?
JH029 フェアリーファイアフライF.Mk.Ⅰ フェアリー昆虫記
JH030 フェアリー・スピアフィッシュ それでもフェアリーに雷撃機、作らせてます
JH031 ホーカーP.1009”シータイフーン” 海の颱風は幻
JH032 ホーカーF.2/43フューリー、22/43/Hシーフューリー 正真正銘最後の最強レシプロ機
JH033 スーパーマリン・タイプ382/396シーファング 海の牙は北海の露と消え
JH034 スーパーマリン・タイプ392アタッカー 苦しくたって悲しくたって兵器なの
JH035 FMA IA-58/-66プカラ 敵といえども蛇の目だもの
JH036 イングリッシュ・エレクトリック キャンベラPR.9 老鳥頑張る(頑張らすな!)
JH037 パナビア・トーネードGR4 砂漠の旋風、苦戦
JH038 ユーロファイター・タイフーン 新型颱風に幸多からんことを!
連作コラム
百花繚乱 蛇の目の花噺
ライトニング誕生物語
偉大ならざる女帝のお話
英国艦隊のベストテン
蛇の目の七フシギ

あらためて見てみると、イギリスの飛行機ばかりである。
どうも岡部氏は、イギリスの飛行機が好きらしい。
かの国の人々は、いろいろと変なことを考えるのに、結局、最終的な戦力として非常にバランスの取れたものができるのは、非常に不思議である。
常識的なことを考えるのに、最終的にはなんかバランスが取れてない日本とはいささか事情が異なるように感じる。
しかし、まあ、様々な飛行機を開発したものである。
あらためて、感心。

自分の評価
★★★☆☆55点

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岡部ださく「世界の駄っ作機」
岡部ださく「世界の駄っ作機2」
岡部ださく「世界の駄っ作機3」
岡部ださく「世界の駄っ作機4」
岡部ださく「世界の駄っ作機5」
岡部ださく「世界の駄っ作機―番外編」

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下向井龍彦「日本の歴史07―武士の成長と院政」


日本はサムライの国であると外国人などからよく言われるが、その侍、いわゆる、武士が登場してくる。
弥生時代に日本の国家の原型ができてから現在までの半分は大和朝廷が実権を握っていたが、後半分は武士によるものだったわけである。
その武士の誕生を書いた巻である。
日本の歴史自体より、武士に興味がある人は、ここから読み始めるべきなのかと思う。
ただ、歴史の連続性を考えると、それより前から読み始めるべきであろう。

目次
第一章 武士以前
第二章 武士たちの英雄時代
第三章 摂関期の武士と国家軍制
第四章 武家の棟梁の形成
第五章 激動の院政
第六章 武家政権に向かって

大化の改新で大和朝廷が律令制度を取り入れたのは、日本を軍事大国にするためであり、新羅や唐に備えるため、また、再び朝鮮半島に攻め入るためであったと前の巻に書いてあった。
一見、奈良時代というと、戦争らしい戦争がなくて平和な時代であったように考えている人が多いと思うが、実際には、軍団制によって徴兵が行われ、3人に1人が兵役に取られて、日本が20万という軍隊を持った超軍事国家であった時期であった。
あの頃の人口がどのくらいであったかはよく分からないが、現在の自衛隊より多い人数の軍隊をあの時代の国家がもっていたということに驚かされる。
しかし、その軍団は、一部が蝦夷との戦争に使われただけで、一部を除いて9世紀初めか8世紀の終わりに廃止された。
ただ、これも諸説あって、何らかの形で、9~10世紀まで一部は残っていたという説もあるらしい。
ウィキペディアなどを読むと、本巻とだいぶ異なる記載である。
徴兵制である軍団制が廃止されると、健児の制と呼ばれる志願兵による軍隊が編成されるようになったのだろうか。
ここらへんは、はっきりとはしないところなのかもしれない。
ただ、軍隊の規模が大幅に縮小されたことは明らかで、外征用の軍隊から治安や内乱に備えるための武力に変わっていった。
大和朝廷は、8世紀~9世紀に、蝦夷を征服して、その版図をどんどん北に広げていった。
そして、征服した蝦夷を懐柔するために、日本各地に移住させたらしい。
彼らを俘囚と呼ぶらしい。
この俘囚たちが、9世紀の各地の武力の一端を担ったとのことであった。
そして、武士は、俘囚たちの戦術を受け継いでいる面が大きいとのことであった。
俘囚たちは、騎馬と弓と斬撃による戦術をメインにしていたが、それを初期の武士が学び取ったと。。。
俘囚たちが使用した刀が蕨手刀(わらびてとう)というものであった。
騎乗しながら、刀を使う場合、直刀であったら、斬撃したときの衝撃がすごいのに対して、反っている蕨手刀であれば、その衝撃が外に逃げるわけである。
要するに叩き付けるかたちから、引いて切るかたちになるので良いあんばいになると。。。
その蕨手刀から進化したのが日本刀の祖先であったと著者は述べている。
しかし、俘囚たちは、再び東北地方に戻され、各地の武力は、減少し、治安が悪化した。
その治安を回復するために、武士の祖先みたいな人々が生まれたらしい。
一般に、武士は、在地有力者が自分を防衛するために武装して生まれたと考えられているが、著者は違うと述べている。
栄達を諦めて地方に下った貴族が、栄達のために武芸を磨いて、武功を挙げて、栄達しようとしたのがはじまりとしている。
そして、彼らの中から、平将門や藤原純友といった人々が出てきて、かれらは反乱を起こす。
興味深いのは、二人ともはじめは、中央で栄達しようとして、結果として中央から反乱としてみなされたということである。
将門の場合は、多分になりゆきでそうなったのに対して、純友の場合は、功を認めさせるために、強引な手段に出て、その結果、反乱に行き着いたという印象を受けた。
そして、皮肉なのは、かれらを討伐した人々がその後の武士として活躍したことである。
このころの軍制は、国衙軍制と著者は言っている。
武士の人々を国府?国衙?で登録しておいて、非常時には、かれらに回覧を回して、その参集を求めるというものであったらしい。
そのうちに、国司や荘園の管理をする人に武士がなるようになったり、在地有力者が武装して武士になるようになったと。。。
話は変わるが、東北の地では。。。。
9世紀~11世紀の東北の地は、アメリカの西部時代みたいな感じであったのだろうか。
蝦夷の後裔の俘囚がいたり、その長の俘囚長がいたりと、ある意味、フロンティアであったのかもしれない。
ここで、活躍したのが、源氏の源頼義・義家父子とか、藤原秀郷の子孫とか、俘囚長の安倍氏とかである。
安倍氏が一種の地方独立勢力みたいになっていて、そこに鎮守府将軍とかで頼義・義家父子がやってきて、うまい汁を吸いたかったわけだが、安倍氏はさっさた帰ってもらいたくて、あれやこれやで結局、戦争になって、最終的には源氏が勝ったのが、前九年の役である。
前九年の役の結果、清原氏というのが、奥州を治めることになったのだが、今度は、義家がいちゃもんをつけて、戦争になったのが、後三年の役だそうな。
その結果、奥州藤原氏が三代にわたって、栄華を誇ることになる。
一方、源氏の方は、激しい戦闘を繰り返して、その郎党と固い結束を結ぶことになり、このことは、のちに平家との抗争での勝因となった。
前九年の役と後三年の役では、残虐行為が凄まじい。
詳しくは述べないが、大和側と蝦夷側とである意味、異文化同士の戦いになるわけだが、そうなると残虐行為がエスカレートするものらしい。
ただ、前九年と後三年の役が源氏栄達のきっかけになったということは特筆すべきと思う。
しかし、義家のあとは、源氏は中央で優遇されず、平氏が重用されることになる。
まあ、いろいろと混沌としていて、面白い時代であることは間違いない。

自分の評価
★★★★☆75点

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日本の歴史03―大王から天皇へ
日本の歴史04―平城京と木簡の世紀
日本の歴史05―律令国家の転換と「日本」
日本の歴史06―道長と宮廷社会
日本の歴史07―武士の成長と院政

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城郭シリーズ第352弾『小金城(下総国)』

千葉県の松戸に小金城攻め。
炎天下のもとの城攻めであった。
一部だけが、公園として整備されている。
所在地は、千葉県松戸市大谷口付近。

千葉氏の家老原氏の重臣であった高城氏の居城。
1537年に、高城胤吉によって築かれ、胤吉、胤辰、胤則と3代53年の居城となった。
胤吉は城建設以前には近郊の栗ケ沢城、根木内城を根拠地として構えていたが、小弓公方足利義明の進出に対抗するために大谷口に新城を築城して移った。
1560年代、古河御所を追われた古河公方足利義氏の仮御所の役目と、義氏に敵対する関東管領上杉憲政を擁立して関東へ侵攻した上杉謙信に備えて拡張が行われたものと考えられている。
実際、1566年2月には上杉方に小金城を包囲されたが、籠城して乗り切ることに成功している。
1590年の小田原征伐の際、後北条氏方の高城氏は後北条氏に従い小田原城に篭城し、豊臣氏方の浅野長政らに攻められ開城した。
その後、家康五男・武田信吉が入城するが、信吉は1592年に転封となり、小金城は1593年に廃城となった。

千葉氏の陪臣の城ってことだろうか。
とりあえず、上杉謙信の攻撃を退けたのは評価できる。
ちなみに整備されたのは、城の入り口の金森口だけである。

公園の麓にある碑。上の兜がイカシテマス。
小金城 000-01

金森口はこんな感じであったと。。。
小金城 000-02

現在の地図。上の絵とは90度、角度が異なるので気を付けて見よう。
小金城 000-03

地図中の①の場所。虎口門。
小金城 001-01
小金城 001-02

地図中の②の場所。障子堀。
障子は壊れやすいからかわからなくなっている。
小金城 002-01
小金城 002-02

地図中の③の場所。入り口であろう。
小金城 003-01

土塁が残っている。
小金城 003-02

地図中の④の場所。畝堀。
小金城 004-01

感想
金森口が大谷口歴史公園となっている。
他は、探せば遺構が分かるかもしれない。
まあ、歴史公園だけだったら、すぐに見終わるかと。。。

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参考


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中川靖造「海軍技術研究所―エレクトロニクス王国の先駆者たち」を読破!!



日本が太平洋戦争に負けた敗因の一つとして挙げられるレーダー技術。
日本軍も、レーダーの性能が戦いの帰趨を決すると気付いてからは、その開発に血眼になった。
その経緯が書かれている本である。

目次
プロローグ 戦後に生きた技術と人材
第一章 海軍技術研究所電気研究部
第二章 電波兵器
第三章 レーダー研究始まる
第四章 ドイツ情報を入手せよ
第五章 ウルツブルグレーダー
第六章 マイクロ波レーダーの開発に挑む
第七章 焦燥感深める開発陣
第八章 技研電波研究部
第九章 広がる技術・量産力格差
第十章 運命決めたマリアナ海戦
第十一章 難関突破
第十二章 第二海軍技術廠
第十三章 壊滅
第十四章 それぞれの再出発
第十五章 生きた人的・技術的遺産
第十六章 潰えた壮大な夢
エピローグ 海軍技術の失敗と教訓

海軍技術研究所は、艦政本部の外局であった。
欧米と比べても遜色ない研究所であったとされる。
ここで、開発されたレーダーが直接、日本海軍の装備となった。
あくまでも、研究所であったので、アカデミックな人々に実戦兵器を直接作らせるのは無理があったかもしれない。
そのようなわけで、実戦からかけ離れたものを作ることが多いということで、批判も多かった。
しかし、海軍技研の方で、再三具申したレーダーの重要性が用兵者から無視され続けたことも、レーダーの実用化を遅らせた原因の一つであろう。
欧州の戦局で、レーダーが大きな役割を果たした以降も、首脳陣は、動きが遅かった。
欧州戦線の戦訓を取り入れる努力を怠ったといえるであろう。
また、武人の蕃用に耐えない兵器を使うことをためらったことも一因である。
最も大きかったのが、海軍首脳陣の科学技術に対する理解のなさであろう。
当時の日本人、今もそうかもしれないが、科学技術が一国の盛衰を左右するということに鈍感であるのかもしれない。
また、海軍の技術系士官の獲得方法についても書かれている。
全体として、科学技術の知識に乏しかったが、技術系士官の重要性はわかっていたのか、様々な方法で理系大卒の人材を取り入れている。
これらの人材は、戦後に日本をエレクトロニクス王国にするべく活躍した。
話は戻るが、レーダーの話である。
レーダーを作っても、用兵者の理解不足から最適な位置に装備してもらえないことが多かったそうな。
当然、レーダーは、一番高いところに装備した方が、索敵範囲が広くなるのだが、一部の用兵者は、高いところに装備すると、的になりやすいということで嫌がったと。。。
それで、30kmの索敵範囲が20kmとかに下がってしまったことがあったと。。。
これも、トップに科学技術の知識がなかったためであろう。
また、陸軍と海軍で、またたくさんの企業で、重複した開発に投資したので、無駄に予算を使ってしまったということもあったそうな。
本書によると、ドイツの権威が日本の科学技術をみて、多くの企業が同じものを開発していると批判している。
ドイツでは、同じことをやっても意味がないので、違うものを開発するように努力すると述べている。
また、日本の大学では、カリキュラムの自由がすくないと批判している。
ここらへんが、人材の柔軟性のなさという結果になっているんだろうと思う。
欧米に追いつき追い越せの場合は、カリキュラムを自由にしないで縛ってしまった方がいいが、新しいモノを作り出すときは、自由に自分で考えられる脳みそを持っている方がよいと。。。
これも、未だに解決されていない日本の問題であろう。
レーダーの開発に遅れを取ったのも、結局、根源的な問題に行き着くんだろうなあと思った次第。

自分の評価
★★★★☆75点

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大津透「日本の歴史06―道長と宮廷社会」


文化的には面白いが、血沸き肉躍る戦記物が好きな歴史マニアにはあまり面白くない平安時代中期。
藤原道長を代表とする藤原家が摂関政治というのをやって、平安貴族が短歌とかを読んで、源氏物語に代表されるような雅やかな貴族生活を満喫していたと思われている時期である。

目次
はじめに
第一章 道長の登場
第二章 一条朝の名臣と貴族社会
第三章 宮廷社会を支えたもの
第四章 王朝の文化
第五章 道長のあとに

しかし、平安貴族たちは、なにも遊興ばかりやっていたわけではないのである。
彼らは、しっかりと政治をしていたと。。。。
中央から国司が派遣されるという制度は、未だに続いていたが、律令制度はかなり形骸化していたと。。。
戸籍は作られないようになり、当然、班田収授の法は行われなくなった。
当然、農地は、在地地主のものとなり、これは、地方の有力者が力をつけて、武士として台頭することにつながったと思われる。
また、荘園というのができるのもこのころ。
律令国家の成立で、中央集権国家ができあがったが、それが崩れ、地方有力者の力が強い方にバランスが傾き始めたと。。。
だって、班田収授の法ってのは、何年か毎に、個人個人に田んぼを割り当てていく方法だけど、そんなことやるの面倒だし、ずっと続くとは思えないものね。
人間の性質からいって、個人の財産にして、それを増やしたりとか、モチベーションを上げてやる方が、理に適っているといえるであろう。
摂関政治というのは、藤原氏が娘を天皇に嫁がせて、男子を産ませてその子を次期天皇にして、自分は関白になって、その次期天皇をうまく操るという政治であると習ったが、著者は、縁組の方は必須ではないとする。
道長は、それを完全にやってのけたが、その息子の頼通は、30年以上、摂関政治をやったが、自分の孫を天皇にするというのには失敗していると。。。
ただ、その頃の記録が少ないので、実情ははっきりとはわからないとのことであった。
ただ、中央はかなり裕福であったらしい。
火事で何度も内裏が焼けても、地方からの税で何度も再建している。
しかし、治安は悪化していたと。。。。
軍事力に力を注がなくてよかったから、財政的には苦しくなかったということなんだろうか。
藤原純友と平将門の乱がおこったのが、この時期であり、次巻でこの記載があるらしい。
本巻であった騒乱らしい騒乱は、北九州への刀伊の襲来であった。
賊軍50隻が襲来して、北九州を荒らしまくって、民衆を殺したり、連れ去ったりしたと。。。
彼らを撃退したのは、藤原隆家以下、大宰府の軍事力であった。
次巻で説明される国衙軍というやつらしい。
勃興しつつある武士勢力を軍事力として使ったものらしい。
刀伊の正体は、ツングース系女真族であったとのこと。
元寇以外にも本土が攻撃されたことがあったわけである。
興味深い事実である。

自分の評価
★★★★☆75点

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プロフィール

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Author:tatsunootoshigo
関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
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