タヌキおやじの日々の生活 吉村昭     

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吉村昭「ニコライ遭難」を読破!!

日経平均株価が暴落中である。
中国のバブル崩壊より日本のバブル崩壊のほうが早かった。
ただ、中国のバブル崩壊は、日本のよりとてつもなく大きいものであろうと推測される。

ニコライ遭難 (新潮文庫)ニコライ遭難 (新潮文庫)
(1996/10/30)
吉村 昭

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明治時代に日本訪問中のロシアの皇太子を警護の警官が斬りつけた「大津事件」を題材にした小説である。
まあ、大津事件とは、明治維新以来の一大外交失態であった。
小説というよりかは、ノンフィクション小説に近いのかと思う。
ほとんどの吉村作品に共通することだが。。。。
ニコライ皇太子の歓待の様子や、犯人、津田三蔵の人物像、検察と政府首脳との法廷闘争など掘り下げて書いていて、大津事件とは、なんであったのが、よくわかる。
教科書では、一行しか取り上げられていない事件にこれほどの重大性があったとは、驚かされた。

内容(カバー裏面より引用)
『明治24年5月、国賓のロシア皇太子を警護の巡査が突然襲った。
この非常事態に、近代国家への道を歩み始めた日本が震撼する。
極東進出を目論むロシアに対し、当時日本はあまりにも脆弱であった―――。
皇太子ニコライへの官民を挙げての歓待ぶり、犯人津田三蔵の処分をめぐる政府有力者と司法の軋轢、津田の死の実態など、新資料を得て未曾有の国難・大津事件に揺れる世相を活写する歴史長編。』

ニコライを国賓として招待した背景には、ロシアとの友好関係を築いて、戦争になるのを防止しようとする外務省の思惑があった。
当時、ロシアは、東方進出を加速させていて、日本には、ロシアに対する恐怖感がはっきりとあったのだ。
まあ、実際に、のちには日露戦争が勃発しているので、あながち的外れな恐怖ではない。

意外なことに、当初、訪日したばかりのニコライ皇太子は、非常に日本に好意的であり、長崎、鹿児島、神戸など、大津までの道程で、一般日本人と親しく交流している。
日露戦争前に、日本人のことを「サル」と言って、憎悪をむき出しにしていたのを考えると、大津事件で斬りつけられたのは、大きな影響を与えている可能性がある。

そして、恐怖の対象であるロシア国の皇太子が斬りつけられたことによって、日本人は、国中が、恐怖のどん底に落とされる。
ほぼ、半狂乱状態といってよいであろう。
福島原発事故直後の状態に近いのではなかろうかと思う。
まあ、東日本だけかもしれないが。。。。

そして、日本政府首脳は、ロシアとの友好関係を重視して、津田を死刑にしようとする。
それに対して、児島 惟謙(こじま これかた)をはじめとする裁判官たちは、終身刑が妥当であろうと反対する。
争点は、天皇に対して危害を加えようとしたものは死刑であるという法において、天皇に海外の皇室が入るかどうかということであった。
改正前の法律が、「日本の天皇」となっていたことや、海外の判例から見て、裁判官たちは、ニコライを一般人として扱うのが妥当であるとした。
また、児島は、元宇和島藩士であり、薩長閥で固められている政府首脳に対する対抗心があったと、吉村は推測している。

最近の出来事と比較すると、尖閣諸島で中国の漁船の船長を抑留したときに、時の仙石官房長官は、那覇地検に対して圧力をかけて、釈放したわけである。
明治時代の日本人にあって、現代の日本人に少なくなったものとは、なにかということであるが。。。。
気骨であるのかな~と思った。
ただ、法律を墨守するばかりに、国がなくなっては、元も子もないわけである。
児島らは、法治国家であることが、日本国の基礎であり、これを破れば、それが根底から崩れてしまうと危惧したわけである。

まあ、結果としては、児島たちの判断は、結果オーライであった。
「断じてやれば、鬼神もこれを避く」のいい例なのかなあと思う。
それに対して、仙石官房長官の取った行動は、それからというもの中国船の領海侵犯を起こさせて、中国に舐められる一因となった。
まあ、その立場による見方もあるし、出身によるライバル心もあるし、損得勘定もあるわけであるが、明治期の武士道精神をまだ残した日本人たちの考えの一端がわかるような気がするようになる一著である。
吉村氏は、津田三蔵の事件以後と、ニコライの事件以後と、ニコライを津田から救った車夫たちの事件以後を書いて筆を終わらしている。
これらのことも非常に興味深く読める部分であった。

自分の評価
★★★★★90点
※予想外に面白かった。

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吉村昭「夜明けの雷鳴―医師・高松凌雲」を読破!!

梅雨に入ったと思いきや、遠ざかっていった今日この頃。

夜明けの雷鳴―医師・高松凌雲 (文春文庫)夜明けの雷鳴―医師・高松凌雲 (文春文庫)
(2003/01/10)
吉村 昭

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高松凌雲という幕末・明治期の医師の伝記といってよいと思う。
吉村昭の作品では、医者の話は多い。
吾輩が今迄に読んだだけで、5冊は幕末明治期の医者の小説である。
司馬遼太郎も何点か、幕末明治の医者の作品を出しているが、それよりか多いのではないかと思う。
幕末明治期というと、日本の医療が西洋医学を取り入れることによって飛躍的に進歩した時期なので、題材にしやすいものと思われる。
高松凌雲という人は、名前を知っているぐらいであったのだが、松本良順と較べて、知名度は劣るのではないかと思う。
その原因として、明治になってから官としてではなく、民間で医療に従事したからかと推測する。
ちなみに、松本良順は、明治陸軍の軍医となっている。
しかし、高松凌雲も幕府側の医者であったのだが、松本良順と負けず劣らず、最後まで幕府に忠誠を尽くしている。
この人も生粋の幕臣ではない。
取り立てられたために、とりわけ、幕府、この人の場合は、特に一橋家、徳川慶喜に忠誠心が強かったものと思われる。

とりあえず、内容(カバー裏面より引用)
『慶応三年、万国博覧会に出席する徳川昭武の随行医として渡欧した三十一歳の医師・高松凌雲。
パリの医学校「神の館」で神聖なる医学の精神を学んだ彼は、幕府瓦解後の日本に戻り、旧幕臣として函館戦争に身を投じる―――。
壮絶な戦場において敵味方の区別なく治療を行った、博愛と義の人の生涯を描く歴史長篇。』

本書で書かれている1867年のパリ万国博覧会の様子が幕府側から書かれている。
博覧会では、薩摩藩も出展しており、落ち目の幕府は、薩摩藩側の画策によって外国に対して薩摩藩と幕府が対等の立場にあるとアピールされてしまうのである。
この経緯は、薩摩藩側の立場から下記の書でも書かれている。
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しかし、幕府側の出展内容としては、博覧会において大いに注目を浴びて大盛況であったと言えそうだ。
この際に、凌雲は、フランスの医学校で学び、医師としての経験を積む。

そして、幕府瓦解に伴い、帰国し、戊辰戦争に従軍し、その経験を大いに活かすわけである。
明治維新後は、民間救護団体の前身と言われる同愛社を創設して、貧民の救護にあたったようだ。
官職につかず、民間医師として活動したのは、元幕臣としての矜持があったからであろうか。
また、一橋家への遠慮があったのであろうか。
いずれにしても、司馬遼太郎の書く松本良順がはったりが効いている人物であるのに対し、吉村昭の書く高松凌雲は真面目で公正な人物である。
もうちょっと羽目を外したようなところがあれば、読みながらも笑えるのになあとも思った。
しかし、一口に幕末明治の医者といってもいろんな生き方があったのだなあと知ることができる一著である。

自分の評価
★★★☆☆60点

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※江戸時代後期・幕末・明治期の医者の吉村作品。

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吉村昭「落日の宴―勘定奉行川路聖謨」を読破!!

来週の株価はどうなるんだろうーなという今日この頃。

落日の宴―勘定奉行川路聖謨 (講談社文庫)落日の宴―勘定奉行川路聖謨 (講談社文庫)
(1999/04)
吉村 昭

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まあ、吉村昭は、戦国時代についてはまったく小説を書いていないが、江戸時代後期、幕末、明治、日露戦争についてはかなりの数の小説を書いていて、そこらへんで司馬遼太郎とかぶる。
そのようなわけで、作家によってどのように人物への見方が違うのかを知ることができる。
それに加えて、大阪人の物の見方と、東京人の物の見方の違いをも感じることができる。
司馬遼太郎が、メジャーな人物を題材にするのに対して、吉村昭は、比較的マイナーな人物を題材にする傾向があるような気もする。
本書は、川路聖謨を題材にした小説である。
ちなみに、川路聖謨(かわじ としあきら、1801年~1868年)は、江戸時代末期の旗本であり、幕末きっての名官吏とされた人である。
司馬にしろ吉村にしろこの人については、好意的な見方をしているようだ。
吾輩が幼い頃は、幕末の幕臣というと無能な人間ばかりであったと一方的に思っていたが、事実は、決してそんなに単純なものではないことがわかる。
ペリー来航に対して全く無能だったわけではなく、それより以前から西洋に対して目を向けて、それなりの対策を少なからずしていたことがわかる。
川路は、尚歯会という蘭学者などが集ったサロンに参加していた人でもあった。
この会が開催されていたのは、ペリー来航より10年以上前だから、先見の明がある人は、ペリー来航のようなことがあることはうすうすわかっていたのである。

本書の内容であるが、川路が、ロシアの軍人のプチャーチンと交渉をするところから、ペリーが来航し、京都で尊王攘夷運動が盛んになり、朝廷に対して条約批准を認めてもらえるように奔走するところから、江戸にもどり、江戸城開城の前に自殺するところまでが書かれる。

本書を読む限り、阿部正弘が死ぬまでは、幕府の交渉能力はそれなりに機能していたのではないかと思う。
ただ、井伊直弼が大老になって、暗殺されてからは、その権威が失墜し、どうにもならない状況となる。

本書のクライマックスも阿部正弘が死ぬまでであり、ロシアとの交渉であると思う。
川路は、ロシア方の人間にも尊敬され、敬愛されていたとのこと。
ロシア人と日本人のユーモア溢れるやりとりが微笑ましく読むことができる。

ただ、ペリーとのやり取りはそんなに生易しいものではなかったようだ。
今だと、アメリカよりロシアのほうが、荒々しい感じがするが、時代が違ったのかもしれない。

川路聖謨も養子であり、その父は、御家人株を買った人だそうな。
幕末に活躍した人は、勝海舟など、養子とか御家人株を買った人の子とか孫とかが多い。
また、榎本武揚など、身分の低い出であることも多い。
階級の流動化と、新しい血を外から入れることが、組織などの活性化の一要因であることがわかる。
純血主義は、あまりよくないということである。

プチャーチンらは、乗ってきたディアナ号が、安政東海大地震で沈没してしまったので、新たに日本で船を建造して、一部はその船で帰国し、他はアメリカ船で帰国するのだが、その内容については、少し取り上げているような書はあるが、詳細に書いているものはなかったので、興味深く読めた。

川路聖謨の粘り腰とユーモアのセンスが面白く読める一著である。
在庫がないみたいだが、新装版でまた出版してほしいものである。

自分の評価
★★★★☆85点

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吉村昭「間宮林蔵」を読破!!

橋下大阪市長のメッキが剥がれつつあると感じる今日この頃。
政治家なら、自分の言動がどのように捉えられるか、影響を与えるかを計算してから口にしなければ政治家として失格であろうと思う。

新装版 間宮林蔵 (講談社文庫)新装版 間宮林蔵 (講談社文庫)
(2011/10/14)
吉村 昭

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つい最近まで、吉村昭が間宮林蔵の伝記を書いていたことを知らなかった。
読み応えのある一冊であった。
間宮林蔵については、歴史に詳しい人でなければ知らんかもしれない。
まあ、解説すると、間宮林蔵(1780年~1844年)とは江戸時代後期の隠密、探検家である。
樺太(サハリン)が島であることを確認し、対岸のアムール河口まで行った人である。
また、西蝦夷地の測量を行い、地図を作製した。
江戸末期にたくさん出てきた農民出身で幕臣に取り立てられて活躍した人々の一例である。

内容(カバー裏面より引用)
『謎多き探検家の波乱万丈の生涯を描く歴史長編。
樺太は島なのか、大陸の一部なのか?
世界地理上の謎であった同地を探検して島であることを確認し、間宮海峡を発見した間宮林蔵。
その苦難の探検行をリアルに再現し、幕府隠密として生きた晩年までの知られざる生涯を描く。
史実の闇に光をあてる長編傑作。』

本書を読むまでは、漠然と間宮海峡を発見した探検家という認識しかなかったのであるが、幕府隠密として活動したり、地図を作製したり、幕府首脳や水戸藩に意見を具申したりと、いろんなことをした人であったのだなあと再認識させられた。
また、江戸時代に、樺太の南側は、日本の支配下にあったということを初めて知った。
まあ、ゆるい支配であったのであろうけど。。。
山丹交易という貿易が当地域ではされていたらしい。
江戸時代に山丹人(沿海州の民族)と、アイヌとの間で、主として樺太(サハリン)を中継地として行われた交易のことだそうな。
広義には清朝が黒竜江(アムール川)下流域に設けた役所との朝貢交易から、山丹人、さらにアイヌを介して蝦夷地の松前藩にもたらされた交易をさすとウィキにはある。
それで、樺太の南側は日本の影響下にあったのだが、北側がどうなっているのかが当時は分からなかった。
幕府が恐れたのは、ロシアの影響下に入っているのではないかということであったのだ。
それを調査するのと、樺太が半島であるか、島であるかを確認するために、林蔵たちが派遣された。
この冒険行がメインになると思いきや、前半で終わってしまう。
林蔵が、沿海州に渡ったのが、30代の頃で、彼は60代まで生きるからだ。
その探検の後に、地図を作製したり、幕府隠密をしたりする訳である。
中でも驚くべきは、薩摩に隠密として入国したという事実である。
薩摩飛脚と呼ばれた薩摩への隠密行は、ほとんどが失敗したと吾輩は聞いていたが、本書によると、かなり多くの隠密が忍び込んでいたとある。
ここらへんは、スパイの世界なので、どこまでが事実なのか分からないとは思うが。。。

また、ここでもシーボルト事件が出てくる。
シーボルト事件の発端になったのが、シーボルトより林蔵に送られた贈り物を幕府の上司に届け出たことであったからだ。
吉村昭は、このことについて好意的に書いているが、ここらへんは、農民出身で成り上って来た人間の自己防御の巧みさの一例だと思う。
ともあれ、全体としては、幸福な一生を送った人なのではないかと思う。
今まで読んだ江戸後期の小説と被るところが多々あり、違った側面からものごとを見ることができる。
冒険好きな人には特に読んでもらいたい一冊である。

自分の評価
★★★★☆70点

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吉村昭「日本医家伝」を読破!!

月に笠がかかっていたので、明日は雨かと思っていたが、天気予報を見た限り、そんなことはないらしい。

日本医家伝 (講談社文庫)日本医家伝 (講談社文庫)
(2002/01)
吉村 昭

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最近、多い吉村昭作品。
江戸時代・明治時代の日本の医者を書いた短編集である。
おそらく後ほどであろうが、吉村昭が長編で題材にしている人物も何人か登場する。
吾輩が知らない人物が多く、新たな知識となることも多かったが、いかんせん短すぎて一編一編の内容が薄くなってしまっているような気がした。

内容(カバー裏面より引用)
『日本初の人体解剖を行った山脇東洋、「解体新書」の翻訳という偉業を達成した前野良沢、日本で最初の種痘法をロシヤ抑留中に習得した中川五郎治、ドイツ医学採用に狂奔し晩年は悲惨だった相良知安、自らの屈辱感をバネに医学の道を邁進した荻野ぎん等、近代医学の先駆者十二人の苦難の生涯をえがく。』

一編目が、山脇東洋(1706年~1762年)。
この人は、上で書いている通り、日本初の人体解剖を行った医者であった。
蘭学が盛んになる前に、このような人が出てきたのは、江戸時代において実証主義的な考え方が広まっていた証拠かもしれない。

二編目が、前野良沢(1723年~1803年)。
蘭書のターヘルアナトミアを解体新書として翻訳したことで有名である。
吉村昭は、この人を長編でも書いている。
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三編目が、伊東玄朴(1801年~1871年)。
幕末の蘭方医で、幕末における蘭方の地位を確立した。
しかし、金には汚かったらしい。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」で出てくる。
司馬遼太郎もあまりよくは書いていない。
関連記事
司馬遼太郎「胡蝶の夢」1~4巻を読破!!

四編目が、土生玄碩(はぶ げんせき、1762年~1848年)。
この人は、開瞳術を施した西洋眼科の始祖だそうな。
印象に残ったのは、死ぬ最後の「自分の生涯は、悔いなきものであった」との言葉。
人間、そうありたいものです。

五編目が、楠本いね(1827年~1903年)。
シーボルトと日本女性の間に生まれた混血児で、日本人女性で初めて産科医として西洋医学を学んだ。
この人についても吉村昭は長編で書いている。
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六編目が、中川五郎治〈1768年~1848年)。
日本における種痘法の祖だそうな。
しかし、彼の種痘法は、商売にしようとしたために広まらなかった。
吾輩は読んでいないが、吉村氏は、この人についても長編で書いているみたいだ。

七編目が、笠原良策(1809年~1880年)。
この人は、福井で種痘法を広めようとした人であった。
本書を読む限り立派な人であったようだ。

八編目が、松本良順(1832年~1907年)。
この人は、かなり有名だと思う。
テレビで戊辰戦争を題材にしたドラマをやると、たいていは出てくる。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」の主人公(副主人公?)でもある。

九編目が、相良知安(1836年~1906年)。
イギリス医学ではなくドイツ医学を日本の手本とするように奔走した人であったらしい。
まあ、妥当な選択であったと思うが、どの国でも長所と短所があるところを考えると、いろいろな国の医学を手本としてもよかったのではなかろうかとも思う。
晩年は、不遇だったらしい。

十編目が、荻野ぎん(1851年~1913年)。
日本人女性初の国家資格を持った医師だそうな。
この人の人生も波乱万丈である。
美人だったらしい。

十一編目が、高木兼寛(1849年~1920年)。
脚気の撲滅に取り組んだ人である。
慈恵医科大の創始者でもあった。
この人についても、吉村氏は長編で書いている。
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十二編目が、秦佐八郎(1873年~1938年)。
当時難病であった梅毒の特効薬サルヴァルサンをドイツのパウル・エールリヒと共に開発し、多くの患者を救ったそうな。
この人は、典型的な日本の学者という感じである。
真面目な人であったみたいだ。

まあ、吾輩が知らなかった医者でもいろんな方面でパイオニアと呼ばれる人々がいて、今の日本の医療があるんだなあと思った。
短編なので、内容が薄いと感じてしまうのは仕方がないかもしれないが、一般人があまり知らないような医者を知ることができるという意味で価値のある本かもしれない。

自分の評価
★★★☆☆50点

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プロフィール

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Author:tatsunootoshigo
関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
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