タヌキおやじの日々の生活 今までに行った遺跡     

遺跡シリーズ第28弾『丈六寺』

去年に行った丈六寺のお写真である。徳島には少ない国重要文化財である。
ひさしぶりにふらっと立ち寄ったら、日立製作所がスポンサーについてきれいに補修・整備されていた。
昔は、荒れ放題だったのだが。
基本的に、徳島県人は、歴史遺産を大事にしない傾向があるような気がするのである。
日立製作所は、東原会長が小松島の和田島出身だったので、スポンサーについたと思われる。

非常に風情があるのである。
IMG_0404.jpg

阿波細川氏の最後の当主、細川真之が建てた建築物が残っている。
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左側にあるのが、勝浦郡とかを牛耳っていた新開道善という戦国武将が長宗我部元親に暗殺された建物であったと思う。
戦国大名としての三好氏は、織田信長に京都や近畿地方から追い出された後、阿波に逃げ帰ったのだが、今度は、土佐から貯曾我部元親の侵攻を受けたのであった。
そのようなわけで、三好の家来であった新開氏は、長宗我部に寝返ったり、三好についたりと大変であったのである。
かなり多くの阿波の武将が長宗我部に謀殺された。
IMG_0412.jpg
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これが一番古く平安時代の作であるという。
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遺跡シリーズ第27弾『萩反射炉跡・恵美須ヶ鼻造船所跡』

郡司鋳造所の後に萩反射炉跡に向かう。
反射炉とはなんぞやというと、鉄を精錬する炉のことである。
要するに鉄を純度の高い物にする装置である。
なぜ反射炉というかというと、燃焼させた熱を反射させて一か所に集中させて鉄を溶かすからだそうな。
17世紀末にイギリスで開発されたらしい。

萩反射炉の案内板。
萩反射炉001
萩反射炉002

現在は煙突だけが残っている。
萩反射炉003
萩反射炉004

次に、恵美須ヶ鼻造船所跡に向かう。
現在は防波堤のみが残っている。
恵美須ヶ鼻造船所跡の案内板。
恵美須ヶ鼻造船所跡001

こんな船や、、、
恵美須ヶ鼻造船所跡002

こんな船を、、、
恵美須ヶ鼻造船所跡003
建造したと。。。

これが現存している防波堤。
この右手側がドックであった。
恵美須ヶ鼻造船所跡004

防波堤の上。
恵美須ヶ鼻造船所跡005

ドックがあったあたり。
恵美須ヶ鼻造船所跡006
この後、撤収。

感想
山口県は、いろんな名所とか歴史上の偉人とかがいてよいなあと思った次第。

参考


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遺跡シリーズ第26弾『松陰神社・郡司鋳造所跡』

萩に一泊した後、松陰神社へ。
まあ、吉田松陰を祀っている神社であり、松陰が松下村塾を開いたり、処刑される前に幽閉されていたりするところである。

松陰神社の鳥居。
松陰神社001

これが松下村塾を開いていた小屋。
まあ、寺小屋みたいなものだろう。
松陰神社002

別の角度から。
この小屋から維新の種が育っていったのかと思うと、感慨深いものがある。
まあ、いつの時代も教育が大事ということでしょう。
その教育も金をかけるだけではだめで、魂が込められていないとだめらしい。
松陰神社003

そして、これが松陰が処刑前に蟄居していた家屋。
松陰神社004

次に松陰神社の隣にあった郡司鋳造所跡に行く。
ここで、大砲の鋳造などを行ったらしい。
下関戦争で西欧艦隊の陸戦隊にぶんどられた長州藩の大砲があるのだが、ここで造ったものがあるみたいだ。
いわゆる長州砲とか呼ばれているんだろうか。
上の三つの容器の中で鉄を溶かして真中の鋳型に流し込んで大砲を作ったようだ。
郡司鋳造所004

これが大砲の鋳型。
郡司鋳造所005

この三つが鉄を溶かす容器。
郡司鋳造所006

このように鋳造したと。。。
郡司鋳造所002

長州藩の台場にあった長州砲。
これは、四カ国艦隊に占領された時の写真であろう。
コテンパンにやられて長州藩は攘夷の無意味さに気づいたわけである。
郡司鋳造所001

長州砲のレプリカ。
郡司鋳造所003
この後、萩反射炉跡に向かう。

感想
生まれて初めて松陰神社に行った。
まあ、日本を代表する文化遺産と言ってよいかと。。。
太平洋戦争の悲劇はあったものの、おおよそ日本が外国の侵略をうけなかったのは、松陰の門下生たちが活躍して明治維新を興したことが要因の一つかと思う。
ありがたや、ありがたや。

参考


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遺跡シリーズ第25弾『淀江台場』

由良台場の次に淀江台場に向かう。
淀江台場も鳥取藩の郡の大庄屋、松波宏年が築造している。
この人は、農兵隊を組織したり、台場を建造したり、長州征伐に参加したりと大活躍したみたいだ。
戊辰戦争でも幕府側で戦ったと。。。

ちなみに、淀江台場は、現在このように真中の部分だけが残っていると。。。
淀江台場跡000-1

案内板にあった長州藩の台場の写真。
こんな感じではなかったであろうかと。。。
淀江台場跡000-2

前から。
淀江台場跡001-1
淀江台場跡001-2
淀江台場跡001-3
淀江台場跡002-1

当時の石垣であろうか。
淀江台場跡002-2
淀江台場跡002-3

感想
残っているのは、土塁の一部だけだが、それだけ山陰の海岸線が狙われやすかったということであろう。
松浪氏の活躍が偲ばれる砲台跡である。

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国別 城郭・陣屋・要害・台場事典国別 城郭・陣屋・要害・台場事典
(2002/07)
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遺跡シリーズ第24弾『由良台場』

鳥取市から米子市にかけて、鳥取藩が幕末に建設した台場跡が点在するわけである。
そのうちの一つである由良台場に行ってきた。
1863年に、高島秋帆に西洋砲術を学んだ武信潤太郎指揮のもと、建築が行なわれたとある。
鳥取藩は、財政が窮乏していたためにまったく出資しなかったとのこと。
これもすごい話である。
60斤砲、24斤砲、18斤砲、5寸径砲が配備されていたらしい。

これが台場の地図。
由良台場000-1

台場の航空写真。
由良台場000-2

台場の後ろの入り口付近。
由良台場001

入り口に直接入れないように入り口の前に土塁がある。
由良台場002-1
由良台場002-2
由良台場002-3
由良台場002-4

内側から見た入り口。
由良台場002-5

台場の前方。
上に大砲をのっけてぶっ放すつもりであったのだろう。
由良台場003-1
由良台場003-2
由良台場003-3
由良台場003-4
由良台場003-5
由良台場003-6
由良台場003-7
この後、淀江砲台跡を目指す。

感想
かなり台場の保存状態がよいので、見応えがあった。
最近まで、鳥取にこんな台場跡があったことを知らなかったので、目から鱗が落ちる様な思いである。
西欧列強からの侵略を防ぐために当時の人々は必死であったと。。。
庄屋などの地主たちが出資したとのことで、武士階級以外の人々も海防に熱心だったわけである。
現在の日本人も多少見習った方がよいかもしれない。

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