タヌキおやじの日々の生活 甲信越の城     

城郭シリーズ第92弾『春日山城(その2)』

城郭シリーズ第91弾『春日山城(その1)』の続き。

地図中の⑤の場所。
本丸である。
春日山城 05-2

本丸の碑。
春日山城 05-3

本丸から見た直江津。
春日山城 05-4

地図中の⑥の場所。
本丸の裏手にある井戸曲輪。
今でも水をたたえているらしい。
春日山城 06

地図中の⑦の場所。
毘沙門堂。復元である。
上杉謙信は、いくさの前にはこの中に籠もったと。。。。
春日山城 07

地図中の⑧の場所。
直江屋敷。
春日山城 08-1

同じく。
段の上が直江屋敷である。
春日山城 08-2

地図中の⑨の場所。
空堀である。
春日山城 09-1

同じく。
左手が空堀で、右手が通路。
春日山城 09-2

同じく。
春日山城 09-3

感想
あの山の頂上までことあるごとに登っていた上杉謙信たちは、体力のある人々であったのであろう。
住みにくそうな城である。
遺構は、草が生い茂っていてよく分からなかった。
他にも見所はあると思うが、なにぶん時間と体力がなかったので、諦めた。
山城としてはでかいけど、一つ一つの曲輪が小さくて、あまり兵力を有機的に運用できないのではないかと思った。
八王子城と同じような印象を受ける。
あらゆるところに井戸があるあたりは、実戦的であると思った。
しかし、やはり、安土桃山時代・江戸時代の城と較べると見劣りがする。

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城郭シリーズ第91弾『春日山城(その1)』
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参考
天地人〈上〉天地人〈上〉
(2006/09)
火坂 雅志

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NHK大河は駄作だったが、原作はどうであるか分からない。

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城郭シリーズ第91弾『春日山城(その1)』

新潟県は、北東と南西に長いので新発田駅から春日山駅まで移動するのが凄まじく大変だった。
何度も鈍行を乗り換えて、春日山駅に到着したと思ったら、さらに今度は、何キロも歩くという苦行が我が輩を待っていたのであった。

ともあれ、春日山城とは。。。。。
新潟県上越市にあった中世の連郭式山城であり、別名、蜂ヶ峰城。
主に長尾氏の居城で、戦国武将上杉謙信の城として知られる。

歴史(ウィキペディアより引用・改変)
南北朝時代に越後国守護である上杉氏が越後府中の館の詰め城として築城したのが始まりとされる。
1507年に、守護代であった長尾為景が上杉定実を擁立して守護上杉房能を追放した。
新守護として定実が府中に入ると、長尾氏が春日山城主となった。
その後、長尾為景によって既存の要害に大改修が施される。
1536年に、長尾晴景が父・長尾為景から引き継ぐ。
1548年に、長尾景虎(後の上杉謙信)が兄・長尾晴景から家督を相続し、入城。
1579年に、御館の乱を制した、上杉謙信の養子・上杉景勝が入城。
1598年に、上杉景勝が会津へ転封となり堀秀治が入城。
1606年に、堀秀治の急死に伴い、子の堀忠俊が引き継ぐ。
1607年に、福島城完成に伴い、行政組織を移し、春日山城は廃城となる。

春日山城スタンプゲット!!36/100名城攻略達成!!
これで関東甲信越の百名城はすべて攻略した。
春日山城スタンプ

春日山城古図。パンフレットより借用。とりあえず、歩いてみてでかい山城だということは分かった。
春日山城古図

春日山城の現在地図。案内板より借用したものを加工。
春日山城地図

地図中の①の場所。
監物堀。惣構えの堀である。後から知ったのだが、堀氏時代のものだそうな。
春日山城 01-1

同じく。
春日山城 01-2

同じく。
春日山城 01-3

地図中の②の場所。林泉寺。惣門。
春日山城の搦手門を移築したものと伝えられ、現存する唯一の春日山城の建築物となっている。
春日山城 02-1

山門。これは比較的新しいもののようだ。
春日山城 02-2

地図中の③の場所。林泉寺からここまで移動するのは大変だった。
何度死ぬかと思ったことか(涙)
しかし、この先、もっとひどい目にあったのである。
ともあれ、上杉謙信の像。
ここまではクルマで来ることができる。
春日山城 03

ひぃひぃ言いながら登ること何分だか忘れたが、二ノ丸に到着する。
地図中の④の場所。結構、狭かった。
あまり大きな建物は建てられないのではないかと思う。
春日山城 04

ついに本丸に。
地図中の⑤の場所。
夏の山の中と言うことで当然のごとく蚊がたくさんいて刺されまくったのであった。
春日山城 05-1

城郭シリーズ第92弾『春日山城(その2)』に続く。

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参考
図説中世の越後―春日山城と上杉番城図説中世の越後―春日山城と上杉番城
(1998/07)
大家 健

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城郭シリーズ第90弾『新発田城(その2)』

城郭シリーズ第99弾『新発田城(その1)』の続き。

地図中の⑤の場所。
鉄砲櫓跡(現二ノ丸隅櫓)。
新発田城05-2

同じく。
新発田城05-3

鉄砲櫓と土橋門の古写真。案内板より借用。
鉄砲櫓は海鼠壁ではなかったらしい。
新発田城05-4

地図中の⑥の場所。
本丸の西側の石垣。
新発田城06

地図中の⑦の場所。
三階櫓。天守閣の代わりだったらしい。復元である。
新発田城07-1

同じく。
新発田城07-2

本丸に突入する。本丸表門の裏側。
新発田城08-1

新発田藩初代藩主、溝口秀勝公。
新発田城08-2

辰巳櫓から見た三階櫓。
新発田城09-1

同じく三倍ズームで。
新発田城09-2

感想
思っていたより残っている遺構が少ないなあという印象を抱いた。
二ノ丸と本丸の大半は、陸上自衛隊の駐屯地となっているので入ることができない。
駐屯地は、二ノ丸北側の範囲と重なるので、周りを歩いてみたが、遺構らしきものはなかった。
残念である。
二ノ丸南側は、建っていた病院が取り壊されているのだが、復元でもするのかな。
復元されたらまた来るかもしれないと思った。
ともあれ、今残っている遺構は、新発田藩由来のものなので、新発田重家については、あまりアピールされていないが、上杉景勝と直江兼続を苦しめた人なのでもっとアピールされてもよいような気がした(笑)。

前の記事
城郭シリーズ第99弾『新発田城(その1)』
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参考
よみがえる日本の城 (14) (歴史群像シリーズ)よみがえる日本の城 (14) (歴史群像シリーズ)
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城郭シリーズ第89弾『新発田城(その1)』

7月15日、始発の電車に乗って新潟県新発田駅に向かう。
新発田城と春日山城を攻略するためである。
午前9時頃に新発田駅に到着。
我が輩の新発田城攻城戦が始まる。

ともあれ、新発田城とは。。。。。
現在の新潟県新発田市(越後国蒲原郡)にある平城であり、別名、菖蒲城(あやめじょう)。
新発田藩の藩庁が置かれていた。

歴史(ウィキペディアより引用・改変)
最初に城が築かれた時期は不明だが、鎌倉時代初期に幕府設立に戦功のあった佐々木盛綱の傍系である新発田氏による築城と考えられている。
1581年に、時の城主、新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こした(新発田重家の乱)。
1587年に、景勝により新発田城は落城。新発田氏は滅亡した。
1597年に、上杉氏の会津転封に伴い、溝口秀勝が6万石の所領を得て新発田に入封。
新発田藩領内を治めるための拠点として新発田重家の旧城の地を選び、新発田城の築城を行っていった。
1654年頃、3代宣直の時代に、城が完全な形となったといわれる。
1668年、1719年に、火災によって城内建築に大きな被害を受けるが、その度に再建されている。
1873年に、明治政府より発布された廃城令により、表門・二の丸隅櫓と石垣のみを残して破却され、城跡には陸軍の歩兵第16連隊が置かれた。

新発田城スタンプゲット。35/100名城攻略達成!!
新発田城スタンプ

パンフレットより借用したものを加工。
新発田城の復元地図。
新発田城復元地図

地図中の①の場所。今では、何も残っていない。
二の丸大手中の門の古写真。
新発田城01-1

復元図。二の丸南側。
ちなみに現在では、病院が建っていたが、取り壊されている最中である。
二の丸の復元をするのであろうか。
新発田城01-2

地図中の②の場所。辰巳櫓。復元である。
新発田城02-1

本丸南側前面。表門と辰巳櫓。
新発田城02-2

地図中の③の場所。本丸表門。
積雪対策のために海鼠壁になっている。
金沢城と同じである。
新発田城03-1

同じく。
新発田城03-2

同じく。石垣が非常に美しい。しかし、石垣が使われているのは、本丸だけだったようだ。
新発田城03-3

地図中の④の場所。土橋門跡。
新発田城04

地図中の⑤の場所。
かつては鉄砲櫓が建っていたが、鉄砲櫓は撤去され、代わりに二ノ丸隅櫓が移築されている。
新発田城05-1

城郭シリーズ第90弾『新発田城(その2)』に続く。

関連記事
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参考
よみがえる日本の城 (14) (歴史群像シリーズ)よみがえる日本の城 (14) (歴史群像シリーズ)
(2005/03)
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城郭シリーズ第83弾『高遠城(その2)』

城郭シリーズ第82弾『高遠城(その1)』の続き。

地図中の⑤の場所。
南曲輪への橋。
高遠城10

地図中の⑥の場所。
南曲輪から本丸への土橋。
高遠城11

南曲輪東側の空堀。
高遠城12

同じく。
高遠城13

地図中の⑦の場所。
二の丸の土塁と空堀。
高遠城14

地図中の⑧の場所。
二の丸から本丸への橋。門は、城下町の商家の門を移築したものだそうな。
高遠城15

同じく。
高遠城16

本丸へ突入する。
仁科盛信を祀った神社。
高遠城17

模擬物見台。ここからであったら伊那方面から織田軍がやってくるのがよく見えたであろう。
高遠城18

本丸から南曲輪への橋だったと思う。
高遠城19

感想
長野県は、桜が散り始めた頃であった。
長野県のメーカーに勤めてた頃、新入社員研修で伊那方面の工場に行くことがあって、人事部の人が、高遠桜は、仁科盛信の血を吸ってあんなに綺麗になったんだと。。。言っていたのを思い出した。
織田軍による武田征伐において、唯一奮戦したのが、仁科盛信であり、唯一戦いらしい戦いがあったのが、ここ高遠城であった。
高遠城を枕にして壮絶な討ち死(切腹?)をした仁科盛信。
まあ、義に厚い真面目な人であったのであろう。
ただ、運が悪かったなと。。。。

前の記事
城郭シリーズ第82弾『高遠城(その1)』
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参考
高遠城の攻防と一夜の城―織田軍の陣城について考える 中井均・笹本正治講演集高遠城の攻防と一夜の城―織田軍の陣城について考える 中井均・笹本正治講演集
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プロフィール

tatsunootoshigo

Author:tatsunootoshigo
関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
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