タヌキおやじの日々の生活 四国の城     

城郭シリーズ第254弾『重清城(その2)』

その1の続き。

地図中の③の場所。
小笠原神社の本殿。
これはむごい。
重清城 010

重清城の碑。
重清城 011

郭内から見た土塁。
重清城 012

地図中の④の場所。
井戸の案内板。
重清城 013

井戸。
重清城 014

結構深い。
重清城 015

井戸の近くから見た本丸内。
重清城 016

仏像???
重清城 017

地図中の⑤の場所。
城内から見た土塁。
重清城 018

同じく。
重清城 019

感想
知られていない割に、土塁と空堀がしっかり残っているので、意外と見応えがあった。
最近まで知らなかったが、三好氏は小笠原氏の末裔だし、一宮氏もそうだし、阿波は、小笠原氏が繁栄した国と言ってよいと思う。
阿波の主要プレイヤーは小笠原(三好)、細川、蜂須賀といったところか。

関連記事
城郭シリーズ第253弾『重清城(その1)』
グーグルマップ上で見る日本の城郭

参考
古写真で蘇る 日本の名城II 西国編 (楽学ブックス―文学歴史)古写真で蘇る 日本の名城II 西国編 (楽学ブックス―文学歴史)
(2008/08/29)
西ケ谷 恭弘

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城郭シリーズ第253弾『重清城(その1)』

重清城に行ってきた。
まあ、徳島の城マニアぐらいしか知らないであろう城郭である。
長宗我部と三好の間で激しい争奪戦が繰り広げられた。

重清城(しげきよじょう)とは、徳島県美馬市美馬町字城にあった平山城である。
土塁、空堀、井戸などが残っている。

重清城の地図。
北側、西側は崖になっていて、東側、南側を土塁と空堀で分けている。
これだけでは、単なる館ではなかろうかと思うのだが、往時は、二の丸、三の丸があったのかもしれない。
重清城地図

案内板。
重清城 001

地図中の①の場所。
空堀と土塁。
重清城 002

地図中の②の場所。
かつては、城門があったと思われる。
重清城 003

土塁と空堀。
重清城 004

同じく。
重清城 005

同じく。
重清城 006

同じく。
重清城 007

同じく。
重清城 008

同じく。
重清城 009
その2に続く。

関連記事
グーグルマップ上で見る日本の城郭

参考
四国・九州 (日本名城紀行6)四国・九州 (日本名城紀行6)
(1989/05)
大原富枝、富士正晴 他

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城郭シリーズ第252弾『脇城・大西城』

続いて、脇城攻略。
その城下町が、うだつの町並みで有名。
うだつの町並みも見たが、写真に撮り忘れた。

脇城(わきじょう)は、徳島県美馬市脇町大字脇町にあった日本の山城。
歴史
戦国時代に脇権守という人物が館を構えたのが始まりであると云われている。
1533年に、三好長慶が築城し、三河守兼則が守護した。
その後、三好家の家臣の武田信顕が城主となった。
1583年に、長宗我部元親の阿波侵攻により落城した後は長宗我部親吉が守った。
しかし、1586年に、羽柴秀吉の四国攻めに際して、羽柴秀次の軍に屈して降伏、開城した。
蜂須賀家政が阿波国の領主となると、阿波九城の一つと位置づけられた。
家政は特に脇城を重要視し、家臣団の筆頭である家老の稲田植元を城代として置いた。
しかし、一国一城令により、1638年に廃城となった。

山登りである。
西条城・川島城・脇城・大西城 011

しかし、この後、道が分からなくなり撤退。
これが、城山。
虎伏山というらしい。
西条城・川島城・脇城・大西城 012

その後、撫養街道をぶっとばし、池田へ。
大西城の跡地には、池田高校とかがある。
大西城(おおにしじょう)は、徳島県三好市池田町ウエノにあった日本の平山城。
別名は池田城。

歴史
1221年に、承久の乱で功績をあげた小笠原長清が阿波国守護に任ぜられ、その息子である小笠原長経が守護代として下向し築城する。
その後、小笠原氏は三好氏に改姓して勝瑞城に移る。
1585年に、蜂須賀家政が阿波国の領主となり、阿波九城となったが、一国一城令により廃城となる。

大西城があった頃からあったという並木の案内板。
西条城・川島城・脇城・大西城 013

これがその並木。
西条城・川島城・脇城・大西城 014

続いて、遺構である石垣の案内板。
西条城・川島城・脇城・大西城 015

石垣。野面積みである。
西条城・川島城・脇城・大西城 016

同じく。
西条城・川島城・脇城・大西城 017

同じく。
西条城・川島城・脇城・大西城 018

同じく。
西条城・川島城・脇城・大西城 019

感想
脇城は、なんの遺構も発見できなかったが、大西城は、なんとなく、築城思想みたいなものを感じられてよかった。
昔の人は、うまいところに城を作るものだ。
これで阿波九城攻略達成。

関連記事
城郭シリーズ第208弾『阿波一宮城(その1)』
城郭シリーズ第209弾『阿波一宮城(その2)』
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城郭シリーズ第250弾『牛岐城・仁宇城・海部城』
城郭シリーズ第251弾『西条城・川島城』
城郭シリーズ第252弾『脇城・大西城』
※以上、阿波九城。
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城郭シリーズ第251弾『西条城・川島城』

今度は、吉野川沿いに阿波九城の攻略。
まず、西条城。
西条城(さいじょうじょう)は、徳島県阿波市吉野町西条にある日本の平山城。
別名は西条東城、戎城、西城。

歴史
1346年に、森春之が秋月城の支城として築城。
森春之は、長宗我部元親の侵攻に伴い、勝瑞城と運命を共にした。
1585年に、蜂須賀家政が阿波国に入国し、阿波九城のひとつとなった。
その後、一国一城令によって廃城となる。

遺構は、まったくと言っていいほどない。
石碑が残るくらいである。

かつては、ここに西条城があった。
西条城・川島城・脇城・大西城 001

西条城の石碑。
西条城・川島城・脇城・大西城 002

続いて、川島城攻略。
川島城(かわしまじょう)は徳島県吉野川市川島町にある平山城。

歴史
1572年に、三好氏の家臣であった篠原長房が滅ぼされた後、その功績によりこの地を与えられた川島兵衛之進(川島惟忠)が長房の上桜城に代わって城を築いた。
1585年に、蜂須賀家政の家臣である林能勝が城主となる。
1638年に、一国一城令により1638年に廃城となる。
その跡には徳島藩の奉行所が置かれ、明治になるまで存続した。

案内板。
西条城・川島城・脇城・大西城 010

同じく。
西条城・川島城・脇城・大西城 003

本丸???
かなり削られているようだ。
西条城・川島城・脇城・大西城 004

本丸への階段。
西条城・川島城・脇城・大西城 005

いつの時代のものか分からない石垣。
大日寺の礎石だったものだそうな。
大日寺の礎石を城の石垣に使って、その石をまた改変してここに使ったということだろうか。
西条城・川島城・脇城・大西城 007

同じく石垣。
西条城・川島城・脇城・大西城 008

本丸から見た吉野川。
西条城・川島城・脇城・大西城 006

模擬天守閣。
西条城・川島城・脇城・大西城 009
この後、脇城攻略に向かう。

感想
西条城は、跡形もなかったが、川島城は、うまいところに城を作るものだと感心させられた。
かなり堅固そうだ。
ただ、城跡が、かなり改変されているのが残念である。

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城郭シリーズ第251弾『西条城・川島城』
城郭シリーズ第252弾『脇城・大西城』
※以上、阿波九城。
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城郭シリーズ第250弾『牛岐城・仁宇城・海部城』

阿波九城攻略の旅である。
撫養城に続いて、牛岐城、仁宇城、海部城を攻略してきた。
まず、牛岐城。
牛岐城(うしきじょう)は、徳島県阿南市富岡町殿町にある平山城。
別名は富岡城、浮亀城。
歴史
築城年代は明らかにされていないが、至徳年間(1384年 - 1386年)に細川氏に従っていた新開実重が、阿波国に入った際に築城した説が有力である。
また、観応2年(1351年)に紀州の豪族で熊野水軍の首領であった安宅頼藤が築城したという説もある。
1582年に、城主であった新開実綱(新開道善)が長宗我部元親に謀殺される。
1585年に、蜂須賀家政が阿波国を領有とし、阿波九城の一つとして家老である賀島主水正政慶を城代とした。
政慶は入城後、牛岐の地を富岡と改名したため、牛岐城も富岡城と呼ばれるようになった。
1638年に、一国一城令により廃城となった。

牛岐城址公園の案内図。
牛岐城・仁宇城・海部城 002

碑。
牛岐城・仁宇城・海部城 003

城門。実際は、こんな立派なものではなかったんだろうなあと思う。
牛岐城・仁宇城・海部城 004

本丸があった丘。
現在は、宅地開発により半分が失われているそうな。
牛岐城・仁宇城・海部城 001

牛岐城の説明。
牛岐城・仁宇城・海部城 005

これが唯一残された遺構の石垣。
牛岐城・仁宇城・海部城 006

同じく。
牛岐城・仁宇城・海部城 007

井戸。牛岐城があったときから存在したかは不明。
牛岐城・仁宇城・海部城 008

続いて、仁宇城。
仁宇城(にうじょう)は、徳島県那賀郡那賀町仁宇にあった日本の山城。
別名は和食城。
歴史
湯浅対馬守(藤原兼時)の居城であり、1585年に蜂須賀家政が阿波国に入るまで仁宇谷地域を押さえていた。
蜂須賀氏が入国した際に、仁宇谷衆は一揆を起こすが鎮圧、一揆を鎮圧した山田宗重を城代として置かれた。
一国一城令により1638年に廃城。

なぜか大楠公の銅像。
牛岐城・仁宇城・海部城 009

仁宇城の一郭であったという蛭子神社。
牛岐城・仁宇城・海部城 010

同じく。
牛岐城・仁宇城・海部城 011

小学校の一角にあった仁宇城の碑。
これでは、仁宇山城になっている。
牛岐城・仁宇城・海部城 012

その説明。
牛岐城・仁宇城・海部城 013

続いて、海部城。
海部城(かいふじょう)は、徳島県海部郡海陽町にあった平山城。
別名は鞆城。
歴史
永禄年間(1558年 - 1570年)に海部友光によって築かれたとされる。
1571年に、長宗我部元親の弟である島親益の船が突風を避けるために海部城下の入江に入った。
その為、当時の海部城主であった海部友光は親益の船を襲って親益を殺してしまう。
1577年に、弟を殺され激怒した元親が海部城を攻略する。
江戸時代に入ると、蜂須賀家政が阿波国の領主となり、阿波九城となったが、一国一城令により1638年に廃城となる。
その後は海部郡の代役所が置かれ、1807年に日和佐町に移されるまで繁栄した。

これが城山。
なんか登山口が分からないし、蚊が多そうなので登るのはやめたのである。
牛岐城・仁宇城・海部城 014

碑。
牛岐城・仁宇城・海部城 015

感想
パッと見た感じでは、遺構は極めて少ないように感じた。
ただ、もっと探せばあるのかもしれない。
まあ、これで楽しめるのは相当な歴史マニアだけだろうなあとも思いました。

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関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
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