タヌキおやじの日々の生活 旧日本陸軍     

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所沢航空発祥記念館(その3)

所沢航空発祥記念館(その2)の続き。

97式のレプリカ。コックピット部分。
所沢航空発祥記念館 002-09
所沢航空発祥記念館 002-10
所沢航空発祥記念館 002-11

真上から、かなり流麗な機体であることが分かる。
まあ、これでノモンハンを戦ったわけである。
所沢航空発祥記念館 002-12

T-1高等練習機。
所沢航空発祥記念館 003-1
所沢航空発祥記念館 003-2

ゼロ戦のコックピット部分のレプリカ。
所沢航空発祥記念館 004-1
所沢航空発祥記念館 004-2

屋外のC-46。
所沢航空発祥記念館 005-1
所沢航空発祥記念館 005-2

感想
毎回、車で行っていたのだが、今回は電車で記念館へ。
97式戦闘機をみれたのはよかった。レプリカだが。
この機体を見ても、日本の航空技師の力量は大したものであったと思う。
ただ、パイロットの防御を考えていなかったのは残念であった。

関連記事
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所沢航空発祥記念館(その3)
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所沢航空発祥記念館(その2)

滝の城攻略後、所沢航空発祥記念館に行く。
ここは、4回目くらい。
今回は、フライトシミュレータをやるために、来館。
今は、西武線の航空公園駅というのがある。
駅前に、YS-11が展示されている。
世界でも、駅前に旅客機が展示されている例というのは少ないのではなかろうかと思う。
所沢航空発祥記念館 001-1
所沢航空発祥記念館 001-2

日本陸軍の九七式戦闘機のレプリカ。
すごくよくできていると思った。
ある意味、本物より本物らしいかと。。。。
右下にあるのは、本物の97式の燃料タンク。
所沢航空発祥記念館 002-01
所沢航空発祥記念館 002-02
所沢航空発祥記念館 002-03
所沢航空発祥記念館 002-04
所沢航空発祥記念館 002-05
所沢航空発祥記念館 002-06
所沢航空発祥記念館 002-07
所沢航空発祥記念館 002-08
その2に続く。

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野原茂「日本陸軍戦闘機の系譜図」を読破!!



日本陸軍戦闘機の歴史について書いた本。
まあ、この手の本はよくあるかとは思うが、我が輩、どうしても、第二次世界大戦のものに集中してしまうので、全体を網羅すべく読んでみた次第。

第壱部 複葉から単葉へ
第一章 陸軍戦闘機隊の草創期
アンリ・ファルマン複葉機~甲式四型戦闘機
第二章 純国産戦闘機 実現への胎動
校式二型戦闘機~九五式戦闘機
コラム 「愛國號」陸軍機とは
コラム 飛行第二大隊と九五式戦
第三章 全金属製 単葉時代来る 九七式戦闘機

第弐部 一式戦から五式戦へ
第一章 太平洋戦争 緒戦の栄光
一式戦闘機「隼」
コラム 陸軍航空の組織、編成
第二章 重戦闘機の登場 二式単座戦闘機「鍾馗」
第三章 双発戦闘機の幻想 二式複座戦闘機「屠竜」
コラム 陸軍機の名命基準
第四章 液冷発動機搭載機の悲哀 三式戦闘機「飛燕」
コラム 陸軍戦闘機操縦者の養成
第五章 大東亜決戦号と呼ばれた機体 四式戦闘機「疾風」
第六章 陸軍最後の制式戦闘機 五式戦闘機
第参部 レシプロからジェットへ
第一章 夢なかばの試作機たち 試作戦闘機
第二章 幻と消えた次世代機 ロケット機・ジェット機
コラム 陸軍戦闘機の固定射撃兵器
あとがき

陸軍は、1910年に徳川大尉がアンリ・ファルマン機で初飛行し、1914年のドイツ領青島要塞攻撃では、モーリス・ファルマン複葉機を実戦に投入してごく初歩的な爆撃・空中戦・偵察を行った。
しかし、第一次世界大戦には、それほど深入りしなかった日本軍の航空技術は、欧米列強と比べると、かなり見劣りするものであった。
戦後、陸軍は、フランスから顧問団を招聘して、飛行技術の向上を図った。
当時、ドイツは敗戦で飛行機を保有することを禁止されていたし、陸軍国家のフランスから飛行技術を取得するというのは自然な流れであったであろう。
そして、陸軍は、メーカーにフランスの航空機のライセンス生産を行わせるようになる。
その後、国産の航空機を開発する動きが出てきて、まず、ドイツ・フランスの技術者を招聘して、準国産機を開発し始める。
ソ連などは、新兵器の開発を禁じられているドイツと秘密条約を結んで、領内でドイツに極秘理に航空機や戦車などの兵器を開発させていたので、日本も似たようなことをすればよかったのではないかと思うのだが、地理的に無理だったのかもしれない。
試行錯誤があったが、初の準国産戦闘機が九一式戦闘機であった。
これが1931年。
この十年後に、アメリカを敵に回して戦争を始めると考えると、この十年間は、日本は死にものぐるいで、航空技術の向上を図り、それをものにしたと言える。
同時に、十年では埋められなかった差は、戦争後期に戦局における明らかな劣勢となって、現れる。
おもしろいのは、川崎重工で、この会社は、ドイツを範にして、はじめから液冷エンジンを搭載した戦闘機を開発し続けた。
この流れは、終戦まで続き、川崎は、液冷戦闘機「飛燕」を開発するに至る。
会社ごとに文化が違って、技術の伝承という点でも異なるというのはおもしろい。
そして、ノモンハン事変では、陸軍は、九五式戦闘機と九七式戦闘機でソ連と戦う。
本書を読む限り、我彼の損害比は、64:207であり、当初は、圧倒的優勢であったが、末期になると伯仲していったということらしい。
これは、昔に読んだノモンハン事変の航空戦について書かれた本でも同じように記載されていた。
しかし、それによると、損害比は、最後には、同等であり、かなり日本軍が悲観的であるように書かれていたように思う。
どうも、日本人というのは、教訓をフィードバックするのが遅くなる傾向があるようだ。
九七式の後継として開発されたのが、一式戦闘機「隼」であった。
しかし、これは、どうも武装が貧弱であったり、発展性がなかったりと、成功作とはいえなかったようである。
日本では、加藤隼戦闘機隊で有名だが、活躍できたのは、太平洋戦争のごく初期といってよいだろう。
隼は軽戦闘機であったが、世界の趨勢は、重戦闘機に向かっており、陸軍は、海軍と比べて、その流れにはやく対応した。
それは、ある意味、ゼロ戦と比べて、隼が貧弱であったから、そうできたと言えるかもしれない。
また、陸軍の航空行政のほうが柔軟であり、軽戦と重戦の両方の開発を進めていたということもある。
そのはじめての重戦が中島製キ44二式単式戦闘機「鍾馗」であった。
それから、双発戦闘機の開発も行われた。
もともと、双発戦闘機は、海外でも日本でも長距離戦闘機として開発されたものであった。
しかし、単座戦闘機の敵ではないことが判明し、大抵の国では、夜間戦闘機や対爆撃機用戦闘機として使用されるようになる。
日本陸軍の二式複座戦闘機「屠龍」も海軍の月光と同じように、夜間戦闘機や対爆撃機用の戦闘機として使用されるようになる。
太平洋戦争のニューギニア戦では、隼が戦力と使うのは苦しくなってきたので、飛燕が投入された。
しかし、飛燕の液冷エンジンは整備が難しく、その稼働率の低さに悩まされた。
そのようなわけで、ニューギニア戦では、飛燕が活躍するのは難しかった。
その後、本土防空戦では、飛燕が大活躍するのである。
また、飛燕のエンジンを空冷に換装した五式戦闘機がもっとも本土防空戦で活躍する。
そして、大東亜決戦機の名称を冠せられた四式戦「疾風」は、フィリピン戦から登板するが、これも誉エンジンの不調に泣かされる。
ただ、中国戦線で戦った疾風の部隊はそれなりに活躍できたようだ。
これも、基地設備などの条件が揃っているかどうかで戦闘の結果が左右されるということであろう。
最後に、試作戦闘機について記載がされている。
キ102が若干戦闘に加わった以外は、ほとんど実用化されなかったらしい。
気密室にしろ、過給機にしろ、ジェットエンジンにしろ、どうも日本軍全体で、資源を分散させてしまい、有効に使えなかった感がある。
重複投資や重複開発が多かったと。。。
航空行政の失敗といってよいと思う。
中級の航空マニアといってよい我が輩からは戦前の航空機のこと以外は新しいことはなかったが、そこらを軽く知るためにはよい本かと思う。

自分の評価
★★★☆☆60点

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有馬哲夫『「スイス諜報網」の日米終戦工作: ポツダム宣言はなぜ受けいれられたか』を読破!!


太平洋戦争敗戦前になると、さまざまなルートから講和のはたらきかけがなされた。
特に中立国に滞在する、外務省や軍人や情報機関の人間によって、それはなされた。
スウェーデンでなされた終戦工作については、以前、何かの本で読んだが、本書は、スイスで行われた終戦工作について書いている。
中立国における日本の諜報活動についてはよくは知らないが、バルト三国、スウェーデン、スイス、スペインにおいては、日本は活発な諜報活動を行っていたようだ。
これも、以前、何かの本で読んだが、中立国であったスペインを介して、アメリカ国内にスパイを送り込むということも行っていたらしい。
ただ、目覚ましい成果というほどのものはなかったようだが。。。

目次
まえがき―本書のテーマと視点
第一部 藤村神話の崩壊
 第一章 ドラマ版「藤村ストーリー」の真偽
 第二章 ほころびだらけの「痛恨!ダレス第一電」
 第三章 「第一電」は終戦に貢献したか
第二部 スイスの終戦工作、70年目の真実を検証する
 第四章 1944年までのインテリジェンス・ネットワーク形成
 第五章 対日終戦工作と並行して行われた対独終戦工作
 第六章 グルーの対トルーマン工作
 第七章 トルーマンに無条件降伏方針を破棄させよ
 第八章 ポツダム会議をめぐる攻防
 第九章 ポツダム宣言受諾コミュニケーション
エピローグ―終戦から戦後へ
スイスの終戦工作年表
あとがき

当時、スイスには、アメリカのOSS(戦略情報局、CIAの前身)のスイス支局長、アレン・ダラスがいた。
この人は、のちにCIAのトップになる超大物である。
そして、日本側は、西原海軍大佐、藤村海軍中佐などが駐在しており、1945年5月ぐらいからスイスのOSS局員との接触がはじめられた。
スイスにおいては、アメリカと日本との直接的な講和に関する接触であった。
スウェーデンでは、王室が仲介しようとしたり、また、日本本国では、ソ連を仲介した講和を望んでいたりした。
さまざまな経路から講和の打診がなされていたが、日本の首脳部は、アメリカが打診してきた条件が無条件降伏であったので、それよりも条件が良いと思われたソ連を仲介とした講和に期待をかけた。
ここらへんまでは、かなり知られている事実である。
スイスを介した講和への駆け引きがポツダム宣言にどのように影響を与えたかを本書は指摘している。
日本の首脳部が、重要視したのは、国体の護持、つまり、天皇制を残すということであった。
現在の日本人とくらべて、その当時の日本人は、ずっと天皇制に対する思いが強かったわけである。
なかなか当時の空気みたいなものはわからないので、想像するしかないのであるが。。。
そのようなわけで、天皇制についての条件が日米の争点であったようだ。
後からの認識では、天皇制について戦後も認めるという条件を付ければ、原爆投下とソ連開戦がなくても、もっと早く戦争終結をすることができたと米側は考えているらしい。
スイスにおける終戦工作において、アメリカ側も様々な紆余屈折があり、天皇制について認めるという条件を出したり、引っ込めたりと迷走が続いた。
日本側も、ソ連を仲介とした講和に本命を置いていたので、スイスにおける終戦工作は重視していなかった。
結局、スイスとは別ルートのポツダム宣言を受諾するわけである。
ポツダム宣言は、無条件降伏であり、当然、天皇制についての言及はない。
しかし、スイスにおける終戦工作において、日本側は、アメリカ側から天皇についての戦争責任は問わないという言質を得ていた。
そのため、日本側がポツダム宣言受諾する気になったと本書は述べている。
スイスの駐在武官は、もともとは、スイスとドイツの軍事技術情報を日本に送ることを任務としていた。
そのために、反ナチスで投獄されそうになったところを助けたドイツ人ハックを使って、情報活動を行おうとしていた。
しかし、この人物は、アメリカのOSS側にも人脈を持っており、その一方で日本側にも恩義を感じていたので、どちらにもつかず、終戦が近づくにつれ、講和のために動き出す。
これが、スイスにおける終戦工作であった。
何につけても、人間関係が重要であるということを本書を読むとよくわかる。
自分の国の中だけであると、異文化とかの知識が不必要なわけであるが、他国であると、その国の言語を話せないとならないし、また、その国の文化を知らなければ、その国の人間の行動を知ることができない。
まあ、どのように国際政治が進められるかを知るうえで良書と思う。

自分の評価
★★★★☆70点

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プロフィール

tatsunootoshigo

Author:tatsunootoshigo
関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
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