タヌキおやじの日々の生活 東海の城     

城郭シリーズ第377弾『興国寺城(その2)』

城郭シリーズ第376弾『興国寺城(その1)』の続き。

天守台。地図参照。
興国寺城 003-4

本丸と北の郭との間の空堀。
興国寺城 004-1
興国寺城 004-2
興国寺城 004-3
興国寺城 004-4
興国寺城 004-5
興国寺城 004-6
興国寺城 004-7

謎の穴二つ。物資の倉か???
興国寺城 004-8
興国寺城 004-9

感想
整備作業が行われている最中であった。
整備事業が終わったらまた行きたい。

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城郭シリーズ第376弾『興国寺城(その1)』

興国寺城歴史まとめ

1487年(長享元年)、室町幕府官僚であり今川氏の客将であった伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いでの論功行賞により興国寺城を手に入れ本拠地としたとされている。
その後、北条早雲は、伊豆に侵入し、伊豆国の領主となって韮山城に移ったとしている。
1537年(天文6年)、興国寺城を守っていた北条方の城番・青地飛騨が武田信虎に寝返って同氏の被官となり、興国寺城はその後行われた今川義元と信虎息女の婚姻に際して化粧料として今川方に引き渡されたというが、定かではない。
そして、1554年(天文23年)、甲相駿三国同盟が締結されたため、興国寺城周辺は緊張状態から脱した。
1568年(永禄11年)12月、武田信玄が甲相駿三国同盟を破棄して駿河に侵攻、北条氏康は今川方の援軍として興津(静岡市清水区)まで兵を出すが、この際に興国寺城を自領に収め、城の改修を実施していた。
興国寺城は、武田氏と北条氏との間で争奪戦の場となる。
1571年(元亀2年)、甲相同盟が再び成立すると、興国寺城は武田氏に引き渡された。
1582年(天正10年)3月、武田氏が滅亡すると興国寺城は徳川領となる。
1590年(天正18年)、徳川家康が関東へ入封されると中村一氏の家臣・河毛重次が在番した。
関ケ原の合戦の後、1601年(慶長6年)、徳川氏創業の功臣として興国寺城の城主となった天野康景が1万石で入封し興国寺藩を立藩する。
しかし、1607年(慶長12年)3月、康景は領内の問題で責めを負いその裁定に不満を募らせて出奔、興国寺藩は改易となり、同時に興国寺城は廃城となった。

整備するらしい。整備後の興国寺城址。
興国寺城 000-1

興国寺城縄張り図。
興国寺城 000-2
興国寺城 000-3

本丸土塁。地図参照。
興国寺城 001-1
興国寺城 002-1
興国寺城 002-2
興国寺城 002-3

天守台の石垣とされるもの。
興国寺城 003-1
興国寺城 003-2
興国寺城 003-3
その2に続く。

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(2004/12)
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城郭シリーズ第98弾『伊賀上野城(その3)』

城郭シリーズ第97弾『伊賀上野城(その2)』の続き。

地図中の⑧の場所。
筒井古城跡の石垣である。
筒井古城跡は、本丸より高い位置にある。
伊賀上野城08-6

同じく。
伊賀上野城08-7

同じく。
伊賀上野城08-8

地図中の⑨の場所。
筒井古城跡への別の門の跡。
伊賀上野城09

同じく。これは積み直されたもののようだ。
伊賀上野城09-2

そして、とうとう本丸へ。
模擬天守閣である。
地図中の⑩の場所。
伊賀上野城10

同じく模擬天守閣である。
伊賀上野城10-2

同じく。
伊賀上野城10-3

本丸から見た高石垣。足に震えがくる高さである。
伊賀上野城10-4

天守台のふもとに積み上げてあった石礫。
石垣を組むのに使ったものか、戦時を想定して用意していたものかは分からない。
最近のものである可能性もある。
伊賀上野城10-5

感想

松阪城にしろ伊賀上野城にしろ建築物が残っていないのは残念な気がする。
しかし、伊賀盆地というのは、非常に狭い。
そのため作高が少ない伊賀盆地に生きた人々は、戦国の世に忍びの術を糧に自らを売り込んでいったのである。
ところで、筒井古城跡が本丸より高い場所にあるというのが、すごく奇異に感じられた。
筒井古城跡を取られてしまうと、ほとんど、この城は落ちたも同然になってしまうのではないかと思うからだ。
実際に見てみると、高石垣はすごく堅固にできているが、反対の筒井古城跡側は簡単に突破されそうなのだ。
そのような状態であるのは、未完成だったからだろうか???
でも、まあ、築城の名手、藤堂高虎のことだから、その辺の対策はするつもりであったのだろうと思う。

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参考
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城郭シリーズ第97弾『伊賀上野城(その2)』

城郭シリーズ第96弾『伊賀上野城(その1)』の続き。

地図中の⑤の場所。
高石垣である。
伊賀上野城05-3

同じく。
伊賀上野城05-4

同じく。
伊賀上野城05-5

地図中の⑥の場所。
空堀である。筒井古城跡の空堀となっている。
伊賀上野城06

地図中の⑦の場所。
石垣の跡。筒井時代のものであろうか。
伊賀上野城07

地図中の⑧の場所。
筒井古城跡を囲む石垣。
伊賀上野城08

同じく。
伊賀上野城08-2

同じく。
伊賀上野城08-3

同じく。
伊賀上野城08-4

同じく。筒井古城を囲む石垣は、高石垣とはちょっと違って、野面積みのようだが、筒井氏時代のものなのだろうか???
伊賀上野城08-5

城郭シリーズ第98弾『伊賀上野城(その3)』に続く。

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城郭シリーズ第96弾『伊賀上野城(その1)』

松阪城を攻略した後、伊賀上野城に向かう。
さすが、忍者の里、伊賀だけあって、山の中の盆地にあった。
これだと、作物も取れないから忍者で稼ぐしかないわけだなあ。

伊賀上野城とは、三重県伊賀市上野丸之内にあった平山城であり、別名、上野城、白鳳城。
ていうか、伊賀って、三重県、東海地方だったのか。
てっきり、近畿だとばかり思っていた。

歴史(ウィキペディアの記載を引用・改変)
平安時代には、平清盛の発願によって建立された平楽寺という大寺院があった。
室町時代には、伊賀上野城西の丸と後世に呼ばれることとなる丘陵には伊賀国守護である仁木氏の館があった。
1579年に、織田信雄が伊賀平定に乗り出したが、伊賀衆の前に敗退する。
1581年に、織田信長の援軍をうけ伊賀国を平定する。
その後、滝川雄利、脇坂安治と伊賀国守護が代わる。
1585年に、筒井定次が伊賀に移り、天正伊賀の乱で焼け落ちた平楽寺、仁木古館跡に伊賀上野城を築城する。
1600年に、関ヶ原の戦いが起こると筒井定次は、東軍の徳川家康方につき、会津征伐に参戦し、筒井玄蕃を伊賀上野城の留守居役とした。
しかし、伊賀上野城は西軍に攻撃され、筒井玄蕃は戦わず城を明け渡し高野山に逃亡した。
筒井定次は徳川家康の許しを得て直ちに軍を引き返し、城を再奪取し事なきを得た。
関ヶ原の戦いの戦後、筒井定次は本領安堵、伊賀上野藩を立藩した。
しかし、1608年に、徳川家康は、筒井定次から領地を没収する(筒井騒動)。
同年、伊予国宇和島城から築城の名手とされる藤堂高虎が、伊賀国に入国した。
1611年に、藤堂高虎は、豊臣氏への備えのために伊賀上野城の大幅な改修に着手する。
1615年に、大坂の役で徳川家康の勝利となり、豊臣氏の滅亡で堅固な城が必要なくなり、藤堂高虎は、交通の便利がいい津城を本城とし、未完成の伊賀上野城を支城とした。
1869年に、廃城令によって廃城処分とされ、石垣上の構造物の多くが取り壊された。

まあ、築城の名手、藤堂高虎の縄張りというのがミソの城である。
日本一の高石垣があるのもミソである。

ともあれ、伊賀上野城スタンプゲット。これで、38/100名城攻略達成。
東海地方の百名城は攻略達成である。
伊賀上野城スタンプ

上野公園の地図。
伊賀上野城地図

地図中の①の場所。
蛇谷堀。わずかに残った堀の一部。
伊賀上野城01

地図中の②の場所。
立派な石垣である。ここらへんから城らしくなってきた。
伊賀上野城02

同じく。
伊賀上野城02-2

地図中の③の場所。
名前は分からないが、門の跡である。
伊賀上野城03

藩校である旧崇廣堂。
伊賀上野城04

同じく。
伊賀上野城04-2

同じく。
伊賀上野城04-3

地図中の⑤の場所。有名な高石垣。
伊賀上野城05

同じく高石垣。
伊賀上野城05-2

城郭シリーズ第97弾『伊賀上野城(その2)』に続く。

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関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
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