タヌキおやじの日々の生活 北陸の城     

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城郭シリーズ第133弾『一乗谷城(その2)』

城郭シリーズ第132弾『一乗谷城(その1)』の続き。

地図中の③の場所。朝倉氏館の水濠とそれに続く縦掘である。
一乗谷城 003-4

土塁の上から見た櫓跡???
一乗谷城 003-5

庭園の遺構。
一乗谷城 003-7

館跡全景。
一乗谷城 003-8

地図中の④の場所。
中の御殿跡の入り口の石垣。
一乗谷城 004

地図中の⑤の場所。
復元町並み。
一乗谷城 005-2

武家屋敷。
一乗谷城 005-1

同じく。
一乗谷城 005-3

地図中の⑥の場所。
上城戸。
一乗谷城 006-1

同じく。
一乗谷城 006-2

感想
この狭い谷に一万人が住むのは大変だったであろうと推測する。
朝倉氏の繁栄の痕がうかがえるが、織田信長の攻撃によってあっという間に灰燼に帰してしまった。
繁栄させるための努力は、大変なものだが、繁栄を失ってしまうのは簡単である。
栄枯盛衰を感じることができた一乗谷遺跡であった。
次は、11月下旬に岡山県の百名城を攻略予定。

前の記事
城郭シリーズ第132弾『一乗谷城(その1)』
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参考
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城郭シリーズ第132弾『一乗谷城(その1)』

一晩、福井に泊って、翌日10月8日、バスで一乗谷へ向かう。

一乗谷城とは。。。
福井県福井市城戸ノ内町の一乗城山に築城された中世山城。
一乗谷城やその城下町を含めて一乗谷朝倉氏遺跡を形成している。

歴史(ウィキより引用)
1471年に、戦国初代朝倉敏景(孝景・教景)が黒丸館(福井市黒丸町)から本拠を移したと書かれている資料と、南北朝時代に、朝倉氏が一乗谷を本拠にしていたという資料があるようだ。
文明年間には重臣が一乗谷に集住するようになり、また、足利将軍家の分家である鞍谷公方などもいたことから応仁の乱により荒廃した京から、多くの公家や高僧、文人、学者たちが避難してきたため一乗谷は飛躍的に発展し、華やかな京文化が開花した。
1499年には、足利義稙が朝倉貞景を頼り来訪する。
1567年には、戦国5代朝倉義景が足利義秋(後の義昭)を安養寺に迎える。
同年、義昭は上洛を果たすため織田信長を頼って美濃国に出国する。
1573年に、刀禰坂の戦いに大敗した義景は一乗谷を放棄し大野へ逃れる。
翌日、信長の軍勢によって火を放たれ一乗谷は灰燼に帰した。
信長から守護代職を与えられた朝倉氏旧臣の桂田長俊が一乗谷に館を構え、越前を統治していた。
1575年に、吉田郡志比庄で一揆が蜂起、長俊は一族もろとも討ち取られた。
信長が一揆を平定した後、越前八郡を与えられた柴田勝家は本拠を北ノ庄に構えたため、一乗谷は田畑の下に埋もれていった。

一乗谷城が百名城ということになっているが、注目されているのはその城下町であろう。
一乗谷城に行く人はまれだし、吾輩も行かなかった。
なぜなら、一時間以上の山登りをしなけりゃならないんだもの。

一乗谷城スタンプゲット。これで53/100名城攻略達成。
関東甲信越、北陸東海、近畿の百名城は制覇した。
一乗谷城スタンプ

一乗谷朝倉遺跡の地図。
一乗谷城地図

地図中の①の場所。下城戸跡にある石碑。
一乗谷遺跡は、一乗谷城がある尾根と別の尾根で挟まれた谷を下城戸と上城戸で閉塞するような形になっている。
一乗谷城 001

下城戸の土塁と水濠。
一乗谷城 001-2

下城戸の入り口。桝形になっている。
この部分は、巨石が使われている。
一乗谷城 001-3

下城戸の内側。
一乗谷城 001-4

一乗谷城跡があると思われる尾根。
一乗谷城 002

地図中の②の場所。何であったかは忘れてしまった。
一乗谷城 002-2

地図中の③の場所。
朝倉館跡。朝倉義景の館跡である。
一乗谷城 003-1

唐門。これは江戸期のものらしい。
一乗谷城 003-2

右側にあるのは櫓台か。
一乗谷城 003-3

城郭シリーズ第133弾『一乗谷城(その2)』に続く。

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参考
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城郭シリーズ第131弾『福井城(その2)』

城郭シリーズ第130弾『福井城(その1)』の続き。

地図中の④の場所。
天守台。
福井城004

地図中の⑤の場所。
福井城005

地図中の⑥の場所。
福井城006

地図中の⑦の場所。巽櫓台。
福井城007-1

むかしはこうだったと。。。巽櫓古写真。案内板より借用。
福井城007-2

地図中の⑧の場所。
本丸内に突入すると、結城秀康公の石像が。。。なんか安っぽいな。
福井城008

地図中の⑨の場所。
天守台。
福井城009-1

福井の語源となった「福の井」。
福井城009-2

控え天守台。福井大地震で陥没したままになっている。
福井城009-3

主天守台。
福井城009-4

感想
あまり注目されていないにもかかわらず、かなり大規模な城である。
天下普請だけあって、金沢城よりも堅固なのではないかと思う。
百名城にここが選ばれてもよかったのではなかろうかとも思った。
しかし、さしたる特長がないところが選ばれなかった理由であろうか。
ともあれ、一見の価値はある城址である。

前の記事
城郭シリーズ第130弾『福井城(その1)』
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参考
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城郭シリーズ第130弾『福井城(その1)』

丸岡城の次に福井城を攻略する。

福井城とは。。。。
福井県福井市に一部が現存する輪郭式平城である。
本丸と二の丸の縄張りは徳川家康によるものとされる。

歴史
1600年に、家康の次男である結城秀康が68万石で北ノ庄に入封される。
1601年より天下普請による築城を開始する。
1604年に、秀康が松平氏を名乗ることを許され、名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけて完成する。
この頃は、北ノ庄城と呼ばれていた。
5重の水堀が囲む本丸には4重5階の天守が建てられていたが、1669年に焼失し、以後藩財政の悪化や幕府への配慮などから再建されることはなかった。
1624年に、福井藩第3代藩主松平忠昌によって、「北」の字が「敗北」にあたり不吉であるとして「北ノ庄」から「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名される。

福井城の地図。案内板より借用。
福井城地図

想像図。案内板より借用。
福井城想像図

地図中の①の場所。御本城橋。
福井城001-1

かつてはこうだったと。。。。福井城古写真。案内板より借用。
福井城001-2

地図中の②の場所から。
福井城002-1

御廊下橋方面を撮る。
福井城002-2

同じく。
福井城002-3

御廊下橋。復元である。
福井城003-1

かつてはこうだったと。。。。福井城古写真。案内板より借用。
福井城003-2

同じく御廊下橋。
福井城003-3

城郭シリーズ第131弾『福井城(その2)』に続く。

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城郭シリーズ第129弾『丸岡城』

七尾城から特急とバスで三時間くらいかけて丸岡城に到着する。

丸岡城とは。。。。
福井県坂井市丸岡町霞にあった連郭式平山城である。
別名霞ヶ城。
江戸時代には丸岡藩の藩庁となった。

歴史
1576年に、柴田勝家の甥である勝豊により築城され、勝豊はそれまでの豊原寺城から当城に移った。
1582年に、本能寺の変の後の清洲会議により、勝豊は近江国長浜城に移された。
代わって勝家は安井家清を城代として置いた。
1583年に、柴田勝家が豊臣秀吉によって北ノ庄城で滅ぼされると、この地は丹羽長秀の所領となり、長秀は丸岡城主として青山宗勝(修理亮)を置いた。
1600年に、青山宗勝とその子・忠元は、関ヶ原の戦いで敗者である西軍方につき改易された。
越前国には勝者の徳川家康の次男・結城秀康が入封し、丸岡城には秀康家臣の今村盛次が入城した。
1612年に、今村盛次は越前騒動に連座し失脚した。
幕府より附家老として福井藩に附せられた本多成重が新たな城主となった。
1624年に、福井藩二代目の松平忠直が、不行跡を理由に豊後配流となり、福井藩に減封などの処分が下された。
同時に本多成重は福井藩より独立。大名に列し丸岡藩が成立した。
1695年に、4代重益の治世、本多家の丸岡藩でお家騒動が起こり、幕府の裁定により改易となった。
代わって有馬清純が越後国糸魚川藩より入城。
以後、有馬氏丸岡藩6代の居城となり明治維新を迎えた。
1871年に、廃藩置県により廃城となり天守以外全て解体された。

まあ、現存最古の天守閣ということで有名。
しかし、天守閣以外の遺構はほとんど残っていない。

丸岡城スタンプゲット。52/100名城攻略達成。
丸岡城スタンプ

丘の下から見た天守閣。
丸岡城01

近くから見た天守閣。逆光なのが残念であった。
丸岡城02

同じく。
丸岡城03

別の角度から。
丸岡城04

別の角度から。
丸岡城05

天守閣内から見た石の瓦。
丸岡城06

天守閣の近くにあった門の跡の石垣。
天守閣以外に遺構は残っていないと思っていたので、吾輩的にはうれしかった。
丸岡城07

その左手の石垣。
丸岡城08

同じく。
丸岡城09

井戸。
丸岡城10

感想
城址の感じとしては、浜松城に近いのかなと思った。
しかし、あっちは模擬天守だが。。。。
最古の天守閣が残っているといえども、それだけなのは少しさびしい感じもする。
本丸の周りの堀を掘り返す計画もあるとどこかで聞いたが、住宅地になっているところは難しいのではないかと思うのだが。。。。
まあ、それはそれで意味のあることだろうと思う。

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※丸岡城も掲載されています。

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プロフィール

tatsunootoshigo

Author:tatsunootoshigo
関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
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