タヌキおやじの日々の生活 中国の城     

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城郭シリーズ第296弾『萩城(その2)』

城郭シリーズ第295弾『萩城(その1)』の続き。

かつての天守閣。
萩城004-2

そして今。
萩城004-3

地図中の④の場所。天守台。
萩城004-4
萩城004-5
萩城004-6
萩城004-7

そして、本丸門で入場料を払って百名城スタンプを押して本丸に入り、地図中の⑤の場所。
城壁の上に登り易くなるように階段状になっている。
萩城005

地図中の⑥の場所。天守台から見た本丸西側。
一番左手にあるのは岡崎櫓跡だと思われる。
萩城006-1

地図中の①の場所。天守台から見た本丸東側。
萩城006-2

二の丸にあった若狭毛利家屋敷の長屋門。
萩城007
この後、萩に一泊する。

感想
まあ、ある意味、関ヶ原で負けて防長二か国に押し込められたというのが、長州人の明治維新のエネルギーになっているわけである。
その関が原で負けたということの象徴ともいえる萩城。
実戦的な城ということだが、関ヶ原で負けて、いつ取り潰されても仕方ないような状況だと、そうもなるわなあと思った。
輝元は、関ヶ原の合戦の時に、ビビッて大坂城でなにもせずにいたが、その後もビビッて防備に力を入れていたわけである。

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城郭シリーズ第295弾『萩城(その1)』

津和野から萩にかけてクルマを運転していると、雨がどしゃ降りになってきたのである。
萩城のまえで、しばらく雨がやむのを待つも、なかなかやまないのでどしゃ降りの中、萩城に登城した。

萩城(はぎじょう)は、山口県萩市にあった梯郭式平城、山城である。
別名・指月城(しづきじょう)。

歴史
戦国時代、指月山に津和野城主・吉見氏が出城を構え、のちに吉見正頼の隠棲所となった。
1600年に、関ヶ原の戦いで毛利輝元は敗戦により隠居を命じられ、家督を継いだ秀就は防長2国36万9411石余に減封された。
1603年に、幼少の秀就に代わり、輝元は後見役として萩・山口・三田尻の3ヵ所を城地の候補とし、幕府に裁可を求めた。
これに対し幕府は、海に臨み要害の地である萩が良いとの回答をしている。
これは外様大名の雄、毛利氏を山陰の僻遠地に押し込める政策とも言われている。
1604年に、萩城建造に着手。
指月山に連なる干潟を埋め立て、城地を建造した。
輝元は、本丸御殿などまだ一部しか出来ていなかった11月に、早々に入城した。
1608年に、落成。
平時に建設された城ではあるが、指月山に詰の丸を配するなど、戦時を意識した構えとなっている。
1863年に、時の藩主・毛利敬親は幕府に無許可で藩庁を山口政事堂(山口市)に移し、萩城は藩庁としての役目を終えた。
1874年に、廃城令により天守・櫓などの建物を破却。

まあ、長州藩の本拠として有名な城である。
とりあえず、96/100名城攻略達成。
これで残るは沖縄と北海道だけになったなあ。
ここまで長かった。いろんなことがあった。。。しみじみ。。。
萩城スタンプ

萩城の現在図。
二の丸の堀は埋め立てられている。
萩城000

地図中の①の場所。南門跡。
萩城001-1

毛利輝元公の銅像。
あんまり偉い人とは思わんが、長州藩の初代ということで銅像があるものと思われる。
萩城001-2

喰い違い虎口みたいになっている。
萩城001-3

地図中の②の場所。本丸門跡。
萩城002-1

同じく。
萩城002-2
萩城002-3

地図中の②の場所。東門跡。
萩城003-1
萩城003-2

地図中の④の場所。天守台。
萩城004-1
その2に続く。

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城郭シリーズ第294弾『津和野城(その3)』

城郭シリーズ第293弾『津和野城(その2)』の続き。

地図中の⑧の場所。
太鼓丸から三十間台への門。
津和野城008-2

地図中の⑨の場所。三十間台。
津和野城009-1

三十間台から太鼓丸への門跡。
津和野城009-2

太鼓丸を望む。
津和野城009-3

人質櫓を望む。
津和野城009-4

謎の石。建物の建材を固定するためのモノだろうか。
津和野城009-5

そして、山を下り、麓にある物見櫓。
藩主が祭礼を見物する時に使ったのだそうな。
あの時代、祭りを見物は数少ない楽しみの一つであっただろうと思われる。
津和野城010-1
津和野城010-2

馬場先櫓。
戦闘用のものではないようだ。
津和野城011-1
津和野城011-2
この後、萩城を攻略すべく、ひたすら愛車を疾駆させる。

感想
竹田城に似ているなと感じた。
竹田城より小規模であるものの、ところどころ風情がある。
ただ、竹田城は兵庫にあるのでいろいろと整備しやすいが、津和野城は整備が進んでいない感じであった。

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城郭シリーズ第293弾『津和野城(その2)』

城郭シリーズ第292弾『津和野城(その1)』の続き。

地図中の③の場所。
津和野城003-3

本丸から見た③の場所。
津和野城003-4

地図中の④の場所。
津和野城004

地図中の⑤の場所。西門櫓跡。
津和野城005

地図中の⑥の場所。三の丸。
津和野城006-1

三ノ丸から見た人質櫓跡。
津和野城006-2
津和野城006-3

地図中の⑦の場所の近く。天守台。
津和野城007-1

太鼓丸への入り口。
津和野城007-2

地図中の⑧の場所。太鼓丸。
津和野城008-1
その3に続く。

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城郭シリーズ第292弾『津和野城(その1)』

松江から4時間ばかり自動車を運転して津和野城に到着。
予定では、リフトを使って登るはずが、リフトが一か月間運行停止とのことで山登りをするはめになった。
鳥取城で山登りをし、米子城で山登りをし、月山富田城で山登りをし、津和野城で山登りをしと、、、
山登りが極端に多い今回の山陰城攻めであった。
まさに、百名城巡り、最後の難関だったと言ってよいと思う。

津和野城(つわのじょう)とは島根県鹿足郡津和野町後田にある連郭式山城。
別名、一本松城、三本松城、石蕗城。

歴史
鎌倉時代、元寇の翌年の1282年に吉見頼行は沿岸防備のため西石見地方の地頭としてこの地に赴任した。
吉見氏は当初、木薗(木曽野。現在の津和野町木部)に屋敷(吉見氏居館跡)を設け、その北方に御嶽城や徳永城を築いていた。
1295年に、霊亀山南側の鷲原八幡宮の裏手から三本松城(もしくは一本松城)の築城を開始。
山頂に向かって拡張を続け1324年に、頼行の子・吉見頼直の代に完成した。
頼行以降、津和野城は吉見氏14代の居城となった。
吉見氏は戦国時代には当初大内氏に属していたが、11代当主正頼は大寧寺の変で大内義隆を滅ぼした陶晴賢に対して挙兵。
1554年に、100日以上に及ぶ籠城戦が生じた(三本松城の戦い)。
その後、厳島の戦いに勝利した毛利氏が防長経略を開始すると、吉見氏はその傘下に入って引き続き津和野城を居城とした。
1600年に、関ヶ原の戦いにおいて毛利輝元を総大将とする西軍が敗れ、毛利氏が防長2か国に押し込められると、吉見氏も津和野を退去して萩に移住した。
代わって東軍に属した坂崎直盛が3万石で入城し、石垣を多用した近世城郭へと大改修を行った。
大手の位置を吉見氏時代の搦手側に改め、出丸や天守を築いた。
直盛は1616年に千姫事件で自害し、坂崎氏は改易となった。
1617年に、亀井政矩が4万3千石で入城。
以後、明治維新まで11代にわたり亀井氏の居城となった。
亀井氏により、山麓に居館(津和野藩邸)や外堀が設けられて、城下町が整備された。
1686年に、城は落雷にあい火災が発生した。
この際に天守も焼失し、以後再建されることはなかった。
1871年に、全国の各藩に先駆けて廃藩となり廃城となった。
城は、津和野の商人に払い下げられ、山上の城は解体された。

95/100名城攻略達成。
津和野城スタンプ

津和野城の絵図かなんかであろうか。
案内板より。
津和野城000-1

出丸(織部丸)と本丸。
津和野城000-2
津和野城000-3

リフトで今日は運行しないから足で登ってくれと言われ、登城口からひたすら汗を流して登ること20分くらいか。
出丸、織部丸ともいうのかに着く。
地図中の①の場所。出丸の石垣。
津和野城001-1
津和野城001-2

出丸の上。
津和野城001-3

地図中の②の場所。東門跡。
津和野城002-1
津和野城002-2

地図中の③の場所から見た天守台。
津和野城003-1
津和野城003-2
その2に続く。

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Author:tatsunootoshigo
関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
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