「イスタンブールを旅行する(その4)!!」の続き。
10月24日の行程
10月24日9時40分頃、ホテルを出て、作戦行動に入る。
ホテルの前の通りに停まっていたタクシーの運ちゃんにルメリ・ヒサルに行ってくれるように頼む。
タクシーの運ちゃんは、白人ぽい大柄なおっさんであった。
タクシーが継ぎ接ぎだらけだったので嫌な予感がしてたのだが、凄まじい運転であった。
一時、異境の地で交通事故で死ぬことを覚悟したほどであった。
ともあれ、金角湾を渡り、ボスポラス海峡沿いに走ること20分位であったろうか、なんとかルメリ・ヒサルに着いた。
30TLであった。
アタチュルク空港から歴史地区までが、25~35TLぐらいが相場らしく、ホテルからルメリ・ヒサルまで同じぐらいなので大体、適当な相場だと思う。
この運ちゃんは、メーターも倒してくれたし、運転の荒さに目をつぶれば、良心的といってよかったと思う。
ルメリ・ヒサルとは、トルコ語でローマの城の意味で、1452年にコンスタンティノープル攻略のために4か月で造られた城塞である。
ルメリ・ヒサルの入場料は、3TLであった。
守衛のおっさんが、どこから来たの?と英語で聞いてきたので、日本と言うと日本語で「おはようございます」と言ってくれたので、「おはようございます、サンキュー」と返しておいた。
城壁の上に自由に上ることができた。
上る際、手すりなどはないので、上ったあとは、足ががくがくふるえた。
吾輩、飛行機とかは大丈夫なのであるのだが、多少、高所恐怖症ぎみなのである。
城壁の上からみたボスポラス海峡とファーティフ・スルタン・メフメット大橋である。
なんでもうちの親父によると日本の企業が造ったとのこと。
ルメリ・ヒサルを一通り見た後は、またもやタクシーで軍事博物館に向かう。
今度のタクシーの運ちゃんは、白髪のおじいちゃんであった。
しかし、年相応に温厚な運転をしてくれる訳でもなく、例によって、運転は荒かった。
軍事博物館まで、19TLであった。
メーターも倒してくれたし、これも適正な運賃であったと思う。
下は、軍事博物館の建物。
軍事博物館の前の庭にある大砲。
でかいです。
ソ連製のT-26B軽戦車。
ノモンハン事変で日本軍の89式戦車が一方的にやられた戦車である。
F-104戦闘機。最後の有人戦闘機と言われたが、そうはならなかった。
中に入ると、はじめは、刀剣、鎧があるわ、あるわ。
西欧の騎士の兜であったと思う。
1453年のコンスタンティノープル攻略戦でビザンティン側が金角湾を封鎖するのに使った鎖である。
戦斧。
こんなのでたたきつけられたらたまりませんがな。
これも西欧の騎士の剣。
オスマントルコの剣は、円月刀である。
円月刀もあったけど、ここでは省略。
続いて、大砲、銃砲、機関銃があるわあるわ。
小銃。19世紀の物であったと思う。
大砲もたくさんあった。
続いて、ガラタ搭に向かう。
イスタンブール旅行その6に続く。
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