タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第298弾『根室半島チャシ跡群(その2)』     

城郭シリーズ第298弾『根室半島チャシ跡群(その2)』

城郭シリーズ第297弾『根室半島チャシ群(その1)』の続き。

ノッカマフ1号チャシ跡群。
空堀と郭。地図参照。
根室半島 002-4

同じく。
根室半島 002-5

空堀と断崖で囲まれているのが分かる。
根室半島 002-6

同じく。
根室半島 002-7

同じく。
根室半島 002-8

続いて、ノッカマフ2号。
微妙な空堀跡が残る。
根室半島 002-9

中心が郭で周りが微妙な空堀で囲まれている。
根室半島 002-10

こんなふうに円形に空堀があると。。。
根室半島 002-11
根室半島 002-12
根室半島 002-13

感想
蝦夷と呼ばれた北の縄文人は、大和朝廷との戦争に敗れ、海を渡って北海道に逃れ、アイヌ民族と呼ばれるようになった。
対して、本州に残った蝦夷は、和人と同化した。
しかし、最近の調査では、鹿児島、薩摩の人々と、アイヌの人々のDNAは非常に似ているのだそうな。
推測するに、九州北側から弥生人がやってきて、本州を制圧したわけだが、縄文人の血が北辺と南辺に残ったということだろう。
南の縄文人の末裔は、戦国時代と幕末に島津に率いられて、猛威を奮ったが、北の縄文人の末裔は、比較的平和的に過ごした。そのためか戦争技術が発達しなく、和人に支配されることになった。
いろいろと批判はあるが、アイヌの砦跡を百名城に選んだことは、評価したい。
日本人は、単一民族であると言われているが、実はそうではなくて、何種類かの民族が集まってできているという多様性を示すことになるからだ。
その証拠の一つがチャシ跡群なのであると思う。
日本の北東端の地でアイヌの人々がチャシで何を祈っていたのかは、今となっては永遠の謎である。

関連記事
城郭シリーズ第297弾『根室半島チャシ跡群(その1)』
城郭シリーズ第298弾『根室半島チャシ跡群(その2)』
グーグルマップ上で見る日本の城郭

参考


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