タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第302弾『岩槻城(その1)』     

城郭シリーズ第302弾『岩槻城(その1)』

岩槻城を攻略。
予想に反して結構、遺構が残っていた。

岩槻城とは、埼玉県さいたま市岩槻区にあった総曲輪式平城。
別名、岩付城、白鶴城、浮城。

歴史
1478年に、成田自耕斎正などが築城したと記述された史料が発見されている。
1509年に、古河公方奉公衆である渋江氏が岩槻城主となったとみられている。
その後、扇谷上杉氏と山内上杉氏の対立から関東も戦乱期に突入する。
1522年に、太田資頼が岩槻城を奪取し、以後、岩槻太田氏の居城となる。
1564年に、城主資正の留守中に嫡子・太田氏資が北条氏康に内応し資正の追放を断行、岩槻城は後北条氏方となった。
1567年に、北条氏は岩槻城を直轄にする。
1590年に、小田原征伐の際には、宿老・伊達房実の指揮の下、2000の兵が岩槻城に籠城するが、浅野長吉等に率る豊臣軍に攻められ、数日後に降伏落城した。
北条氏滅亡後、徳川家の譜代家臣の高力清長が2万石で岩槻城に入った。
以後、青山氏・阿部氏・板倉氏・戸田氏・藤井松平氏・小笠原氏・永井氏・大岡氏ら譜代大名の居城となった。
そして、廃藩置県まで大岡氏の居城となった。
天守は無かったが天守代用の櫓として本丸に二層二階の瓦櫓があり、他に杮葺二層二階の二重櫓と同じく杮葺の一層一階の櫛形櫓が本丸に存在した。
まあ、この城も北条VS上杉の戦による血塗られた城といってよいと思う。

かくの如く、惣構えの城であったと。。。
岩槻城 000-01

現在残っているのは、新曲輪と鍛冶曲輪の堀と土塁、門である。
岩槻城 000-02

地図中の①の場所。
左手が新曲輪で池がそれを囲む水壕の一部であろうか。
岩槻城 001

新曲輪の東側の土塁。
岩槻城 002-01

新曲輪の東側の水堀の一部。
岩槻城 002-02

地図中の②の場所。
岩槻城 002-03

左手が新曲輪の土塁。
岩槻城 002-04

右側が新曲輪で、正面が新曲輪への土橋。
地図中の⑤の場所。
岩槻城 002-05
岩槻城 002-06

地図中の③の場所。鍛冶曲輪。
岩槻城 003-01
その2に続く。

関連記事
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参考

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