タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第304弾『高崎城(その1)』     

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城郭シリーズ第304弾『高崎城(その1)』

群馬県の城を攻城すべく、高崎線に乗っていざ高崎。
ここは、越後から三国街道が通っていたり、信濃から中山道が通っていたりと、関東平野への北側の入り口にあたるので非常に重要な土地である。
そんなわけで、幕府はここを重視して井伊直政をはじめとして有力武将を配置していた。

ちなみに、高崎城は、群馬県高崎市高松町にあった輪郭梯郭複合式平城。
別名、和田城。江戸時代は高崎藩の藩庁となった。

歴史
高崎城の地には古くは和田城と呼ばれる城があった。
和田城の創建は古く、平安時代末期に遡り、この地の豪族和田義信が築城したと言われる。
室町時代になり関東管領の支配するところとなると、和田氏は管領の上杉氏に帰属した。
1561年に、城主和田業繁は帰属していた上杉謙信に反旗を翻し、武田信玄についた。
それから、その子、和田信業は、北条氏に属した。
1590年に、豊臣秀吉の小田原征伐の際には小田原城に籠城した。
信繁の子・兼業は、籠城するも、前田利家・上杉景勝等の大軍に包囲され、落城し、廃城となった。

小田原征伐の後、関東には徳川家康が入部した。
1597年に、箕輪城主・井伊直政は、和田故城の城地に近世城郭を築いた。
1598年に、直政は箕輪城から築城中の高崎城に移った。
直政は入城に際し、当地を「高崎」と名付けたとされている。
その後、城主は、井伊氏、諏訪氏、酒井氏、戸田氏、松平(藤井)氏、安藤氏、松平(長沢・大河内)氏、間部氏、松平(長沢・大河内)氏と譜代大名が目まぐるしく入れ替わった。
1619年に、入城した安藤重信は城の改修に着手した。
以後、3代77年間をかけて大改修され近代城郭が整備された。
1633年に、実兄である3代将軍徳川家光の命により、この城に幽閉されていた徳川忠長が当城で自裁した。
1873年に、廃城令により存城となり、第3師官官内分営所が置かれた。
以後建造物は移築もしくは破却され、跡地の大半は歩兵第15連隊の駐屯地として使用された。

これがかつての高崎城。
高崎城 000-1

そして、現在。三の丸の堀と土塁が残る。
高崎城 000-2

地図中の①の場所。
高崎城 001

地図中の②の場所。
移築されている乾櫓。かつては本丸の櫓であったが、現在は本丸が消滅している。
高崎城 002-1
高崎城 002-2
高崎城 002-3
高崎城 002-4

東門。これもかなり改変を受けているようだ。
高崎城 002-5
高崎城 002-6

復元された水路設備。
高崎城 002-7
その2に続く。

関連記事
城郭シリーズ第304弾『高崎城(その1)』
城郭シリーズ第305弾『高崎城(その2)』
グーグルマップ上で見る日本の城郭

参考

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