タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第308弾『沼田城(その1)』     

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城郭シリーズ第308弾『沼田城(その1)』

前橋城に続いて、沼田城攻めへ。
前橋から沼田までは、三国街道が通っていた。
越後と武蔵を結ぶ要衝の一つであろう。
ここは、あの真田氏が城主をつとめたことで有名。
沼田城は、群馬県沼田市にあった丘城。

歴史
1532年に、沼田顕泰により築城され、沼田氏の拠点となる。
1560年に、長尾景虎(上杉謙信)が越山し沼田城を落とす。
1578年に、謙信死後に起こった御館の乱により沼田城を後北条氏が制圧。
1580年に、真田昌幸が沼田城城代の泰清に調略を仕掛け、無血開城させ、武田氏が沼田を支配化におく。
1582年に、織田氏により武田氏が滅亡し、その功により上野一国を拝領した滝川一益の重臣・滝川益重の城となる。
その後、本能寺の変を経て、後北条家に降った真田昌幸の支配となる。
1589年に、豊臣秀吉の裁定により後北条氏の支配となり、猪俣邦憲が再び城代となる。
1590年に、北条征伐の戦後処理において、沼田城は昌幸の長男・真田信幸が支配する。
1597年に、信幸が城郭整備をする。
1615年に、大坂夏の陣を期に、信之(信幸)は上田に本拠を移す。
沼田領は引き続き真田領とし、松代藩の分領として継続。
1658年に、真田本家と沼田領との間でお家騒動が起こり、沼田領は沼田藩として独立した。
真田信利が初代藩主となり、沼田城に五層の天守を建てた。
1681年に、信利の暴政と、江戸両国橋架け替えの用材調達の遅延を理由に改易され、沼田藩は廃藩にされる。
1682年に、沼田城は破却され、堀も埋められる。
1703年に、本多正永が入封し、沼田藩2万石として再興される。
以降、黒田氏、土岐氏と沼田藩の藩庁として存続するが、城の本格的な復興はなされないまま、明治の廃藩置県に至る。

現在の公園の地図に吾輩が改変を加えたもの。
沼田城 000-1

沼田城の古地図。
沼田城 000-2

沼田駅を出ると、河岸段丘というやつがこのようにそびえ立つ。
この上に沼田城が築城されていた。
沼田城 001-1

公園入口にある沼田城の石碑。
沼田城 001-2

地図中の②の場所。二番櫓の石垣。東側。
沼田城 002-1
沼田城 002-2
沼田城 002-3
沼田城 002-4
南側。
沼田城 002-5
西側。
沼田城 002-6
その2に続く。

関連記事
城郭シリーズ第308弾『沼田城(その1)』
城郭シリーズ第309弾『沼田城(その2)』
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参考

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現在、日本百名城攻略中!!
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