タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第312弾『菅谷館(その1)』     

城郭シリーズ第312弾『菅谷館(その1)』

埼玉県比企郡嵐山町にある菅谷館(すがややかた)跡を攻略。
同じ埼玉県内でも嵐山町はさいたま市から遠い。
電車を3本も乗り換えてたどり着いた。

歴史
鎌倉幕府の有力御家人として知られる畠山重忠の館跡である。
畠山重忠が鎌倉街道の要衝にあたる菅谷の地に移って館を構えたのが始まりである。
1205年に、重忠は武蔵国二俣川(現・神奈川県横浜市旭区)で戦死し、その後畠山の名跡を継いだ足利義純の子孫に伝えられたというが、15世紀後半に至るまでの詳細は不明である。
1488年に、菅谷館そばの菅谷原において山内上杉家と扇谷上杉家が激戦を繰り広げ、その前後に山内上杉顕定の命を受けた太田資康が扇谷上杉方の拠点である河越城に対するおさえとして、菅谷の旧城を再興した。
やがて、「長享の乱」と呼ばれた一連の戦乱は山内上杉方の勝利に終わり、敗れた扇谷上杉朝良が一時菅谷城に幽閉された。
以後、16世紀前半まで山内上杉家の拠点として使われる。
その後は、1546年の河越夜戦以降にこの地域に進出した後北条氏によって戦国末期まで使われ、小泉掃部助が城代となって守備している。

要するに、畠山氏→上杉氏→後北条氏と城主を変えたと。。。
中世鎌倉御家人の遺構が本郭として残っているは、珍しいそうである。
菅谷館 000

地図中の⑥の場所の周辺。
菅谷館 001-1

城内より。
菅谷館 001-2

三の郭北側の堀と土塁。
菅谷館 002-2
菅谷館 002-1

地図中の⑤の場所。
南郭。
菅谷館 003

本郭西側の堀と土塁。
菅谷館 004-1
菅谷館 004-2
菅谷館 004-3

北側。
菅谷館 004-4
その2に続く。

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参考

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