タヌキおやじの日々の生活 クルト・マイヤー「擲弾兵―パンツァーマイヤー戦記」を読破!!     

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クルト・マイヤー「擲弾兵―パンツァーマイヤー戦記」を読破!!



かなり有名な著作であると思われる。
ナチス・ドイツの武装SSの士官であったクルト・マイヤーの戦記である。
ナチス・ドイツは、党の私兵として、ナチス親衛隊という組織を有していた。
親衛隊でも、秘密警察としての役割を担った一般親衛隊と、軍事組織としての役割を担った武装親衛隊がある。
一般親衛隊の隊員は、ユダヤ人の虐殺などに関わったとして、戦犯にされるものの、武装親衛隊は、基本的に、純粋な戦闘に加わっただけとして、それに所属していただけでは戦犯にはされない。
武装親衛隊は、はじめは、微々たる戦力であったが、大戦が後になるにつれて、拡大していき、果ては50万以上という兵力を有するに至る。
武装親衛隊は、陸上兵力だけであり、国防軍の指揮下で軍事行動を行った。
クルト・マイヤーは、武装親衛隊の士官であった。
この人は、5年間、ドイツの州警察で働いた後に、武装親衛隊に入隊している。
基本、マイヤーが戦後に、自分たちの立場を擁護するために書いた本であるので、脚色もかなりあるし、自分に都合の悪い事実は隠していると思われる。
しかし、武装SSの第一線士官の戦記として価値の高い著述であることは間違いない。

目次
序―ハインリヒ・エーベルバッハ退役装甲大将
1 ポーランド戦
2 プラハから西部戦線へ
3 メッツで装甲偵察大隊を編成
4 バルカン作戦
5 ギリシャへ
6 《バルバロッサ作戦》開始―独ソ戦Ⅰ
7 サエリエからヘルソンへ―独ソ戦Ⅱ
8 ドニエプルからドンへ―独ソ戦Ⅲ
9 1942~43年の冬期戦―独ソ戦Ⅳ
10 ハリコフ戦―独ソ戦Ⅴ
11 反撃―独ソ戦Ⅵ
12 第十二SS装甲師団《ヒトラー・ユーゲント》の編成
13 カーン攻防戦―侵攻Ⅰ
14 カーン決戦―侵攻Ⅱ
15 カーン撤退からファレーズ包囲戦まで―侵攻Ⅲ
16 連合軍侵攻終了時から終戦までの第12SS装甲師団《ヒトラー・ユーゲント》の作戦
   (元第12SS装甲師団作戦主任参謀フーベルト・マイヤー述)
17 イギリスでの捕虜生活
18 ドイツへの帰還
19 裁判
20 戦犯構成要件
21 死刑囚として
22 ドーチェスターからヴェルルへ
《パンツァー・マイヤー》について―元第12SS装甲師団作戦主任参謀フーベルト・マイヤー

マイヤーは、はじめ、《アドルフ・ヒトラー親衛隊》連隊に入隊し、対戦車中隊長としてポーランド戦を戦う。
次に、西方電撃戦に参加し、この時、マイヤーはオートバイ狙撃兵中隊を指揮した。
そして、連隊は歩兵旅団に昇格し、バルカン半島、ギリシャで戦闘を行い、マイヤーは、装甲偵察大隊大隊長代理を務めた。
その後、対ソ戦に参加する。
スターリングラード戦の前に、旅団は、装甲擲弾兵師団に昇格し、ソ連軍の大攻撃の反攻作戦に投入される。
この後、マイヤーは、新たに編成された第12SS装甲師団《ヒトラー・ユーゲント》の装甲擲弾兵連隊長となり、ノルマンディー上陸作戦後の連合国との戦いに参加し、ファレーズで上陸した連合国軍を封じ込めるのに失敗した後、パルチザンに捕まって捕虜となり、この人の戦争は終わる。

オートバイ狙撃兵中隊とか、装甲偵察大隊というのは、主に偵察に使うもので、連隊とか旅団とか師団が前進するときに、一番、前を走る。
当然、真っ先に敵に遭遇する可能性が高く、最優秀の士官や下士官が配置されるのだそうな。
マイヤーが偵察部隊の士官を務めたのは、武装親衛隊において優秀であると評価されていた証拠であろう。
オートバイ狙撃兵というのは、言葉の通り、オートバイに乗った兵隊である。
そして、装甲偵察大隊というのは、主に装甲車で構成された部隊である。
同じような部隊は、今の陸自にもあり、ナチスドイツがその起源といってよいだろう。
それから、装甲擲弾兵というのは、装甲兵員輸送車という前はタイヤだが後はキャタピラの車輌に乗って移動する歩兵のことである。
ちなみにトラックに乗って移動する歩兵を自動車化歩兵と言っていた。
前線を突破すると、迅速に敵の前線の後方や敵司令部を脅かさなければならないので、このような、装甲車やトラックに乗って迅速に移動できる歩兵が必要とされたのである。
まあ、マイヤーは、主に偵察部隊や歩兵部隊が専門と言ってよいと思う。
対ソ戦のはじめまでは、マイヤーは最前線で戦っていたので、戦闘の最中での描写が多い。
しかし、後になるにつれて、マイヤーは昇進していき、指揮官として、部隊を指揮する場面が多くなっていく。
装甲師団《ヒトラー・ユーゲント》とは、17歳~19歳の少年兵を兵員とした武装親衛隊の部隊であった。
個人的には、あまり、少年を戦闘に使うことには、反感を覚えるが、実際問題として太平洋戦争での日本軍も同じような年ごろの少年たちを兵士として使っているので文句はいえないであろう。
ただ、このヒトラーユーゲント部隊は、ノルマンディー上陸作戦において、フランスの都市カーンに踏みとどまり、かなりの死傷率の損害を受け、敵に損害を与えたのちに撤退する。
ある意味、兵士が社会のことなどをあまり知らない少年であることから、己の損害を顧みずにできたことと思われる。
大人になるにつれて、戦闘以外にコストパフォーマンスとか打算とかを考えてしまうものだからである。
ノルマンディー上陸作戦の最中、ヒトラーユーゲント装甲師団の師団長が戦死してしまうという事故があったため、マイヤーは、現地で師団長に就任してそのまま戦闘を行っている。
これは、ナチスドイツでは、最年少の師団長であったらしい。
そのとき、マイヤーは35歳だそうである。
まさに、戦争時という非常時だからこそ起き得たことであると思う。
ナチス親衛隊の起こした戦争犯罪とかいろいろと国際社会の批判はあるものの、その軍事組織がどのように第二次世界大戦において戦ったか知るうえで、一つの参考になる本かと思う。

自分の評価
★★★☆☆75点

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