タヌキおやじの日々の生活 アドルフ・ガランド「始まりと終わり―ドイツ空軍の栄光 アドルフ・ガランド自伝」を読破!!     

アドルフ・ガランド「始まりと終わり―ドイツ空軍の栄光 アドルフ・ガランド自伝」を読破!!



ドイツ空軍のパイロット、アドルフ・ガランドの自伝である。
この人は、ナチスドイツの空軍パイロットの中でも10人に入るほど有名。

目次
KAPITEL01 アルゼンチンの地上で KAPITEL02 パイロットになろう・・・・
KAPITEL03 人生の厳しさは徐々に KAPITEL04 グライダーから動力機へ
KAPITEL05 「『現役』にならんかね」 KAPITEL06 「飛行士不適格」
KAPITEL07 コンドル軍団に呼集 KAPITEL08 共産勢力への低空攻撃
KAPITEL09 スペイン内戦から閲兵式までの間 KAPITEL10 西方戦役における戦闘機隊
KAPITEL11 「バトル・オブ・ブリテン」の開始 KAPITEL12 生死を賭した戦い
KAPITEL13 『英国空爆』 KAPITEL14 「アシカ」から「バルバロッサ」までの間
KAPITEL15 戦略的新天地の上で KAPITEL16 悪夢が現実となる・・・・・二正面作戦
KAPITEL17 東部戦線―空のヴェルダン KAPITEL18 戦争はクリケットの試合ではない
KAPITEL19 陰鬱な出来事 KAPITEL20 前進か後退か
KAPITEL21 「雷電(ドナーカイル)」作戦 KAPITEL22 突破
KAPITEL23 ノルウェーからアフリカ戦までの間 KAPITEL24 対岸観望
KAPITEL25 本土防衛の時来たる KAPITAL26 爆弾の後追い
KAPITAL27 屋根のない家 KAPITAL28 ハンブルク―ドイツ空軍の分水嶺
KAPITEL29 一難去ってまた一難 KAPITEL30 敵と指導部相手の戦い
KAPITEL31 往復空襲に板ばさみのドイツ KAPITEL32 天罰
KAPITEL33 ヨーロッパ侵攻作戦―終わりの始まり KAPITEL34 「ルフトヴァッフェはどこにいる」
KAPITEL35 「大打撃」 KAPITEL36 残された可能性とは
KAPITEL37 ジェット戦闘機の悲劇 KAPITEL38 終わり

第一次世界大戦に敗北したドイツは、航空機の製造を制限されていたので、グライダー競技をさかんにすることによって潜在的なパイロットの育成に努めた。
ガランドは、その一人であった。
そして、ガランドは、旅客機のパイロットとして訓練されたのち、ドイツ空軍入りする。
新生ドイツ空軍は、陸軍や海軍から独立した軍であった。
日本、アメリカなどは、第二次世界大戦後まで、空軍が独立しなかったが、イギリスやドイツでは、第二次世界大戦前から空軍が独立していた。
ドイツにおいて、空軍が独立して拡大したのは、ヘルマン・ゲーリングの功績であった。
ヘルマン・ゲーリングは、第一次世界大戦ではエースパイロットとして、戦闘機隊隊長として活躍し、戦後は、ナチスの台頭ともに、空軍の発展に尽力したが、第二次世界大戦中は、狩猟に夢中になって空軍元帥としての執務を疎かにしたばかりに、ガランドからは、ぼろくそにけなされている。
ガランドの初陣は、スペイン内戦であった。
スペイン内戦は、第二次世界大戦の前哨戦と言われており、様々な戦術が試された。
日本では、ノモンハン事変にあたるのであろうか。
日本軍は、ノモンハン事変の教訓を活かさなかったが、ドイツ軍は、スペイン内戦の教訓を十二分に活かした。
ただ、ガランドによると、ドイツ空軍に欠けていたのは、長距離の侵攻能力と、戦略爆撃の能力であったとする。
ドイツ空軍は、途中から四発重爆の開発を止めてしまったのだ。
ゼロを一にするのは、ゼロを二とか三にするより、はるかに難しい。
このことは、のちのバトルオブブリテンにおいて、ドイツ空軍の欠陥として現れてくる。
1940年、1941年のバトルオブブリテンでは、イギリス空軍は、レーダーで敵機を捕捉して、レーダーと無線を使用して、自軍機を敵機に迎撃させるということを行った。
今では当たり前のことだが、日本軍は、1945年においても、レーダーで敵機を捕捉するだけで、自軍機の誘導をすることはできなかった。
要するに、日本はその当時、無線通信などの技術においてだいぶ遅れていたということだ。
ちなみに、のちのドイツ本土防空戦では、米英の重爆撃機による夜間爆撃を迎撃するために、ドイツ軍は、地上のレーダーと探照灯を駆使して、敵機を捕捉して、ある程度まで、地上レーダー、探照灯、無線で自軍機を敵機に誘導して、敵機に近づくと、自軍機の機載レーダーによって、敵機を捕捉するという戦法を使った。
日本本土爆撃に使用されたのは、B-29で、ドイツ本土爆撃に使用されたのは、B-17やウェリントンという違いはあるものの、ドイツ上空での米英の爆撃機の損失というものは、凄まじいものがある。
すごい時は、15パーセント以上いうものであった。
一機の爆撃機には、5~10名ぐらいの乗員がいることを考えれば、戦死者も相当なものになったと思われる。
そして、米英による戦略爆撃は、ドイツの戦争遂行能力を奪うのだが、最後にそれを阻止する手段であったのが、ジェット戦闘機であった。
しかし、ジェット戦闘機Me262も、ヒトラーの采配の間違いによって、戦闘爆撃機として使用されそうになり、本格的に戦闘機として使用されたのは、一年くらい遅れた終戦間際であった。
このジェット戦闘機隊の隊長にガランドが就任した。
その時、ガランドは中将であった。最年少の将官であったらしい。
将官が戦闘機パイロットを務めるなんて、日本では考えられないが、当時のドイツではありえたのである。
30代で中将とかありえないです。
実力主義が貫かれていたということであろう。
まあ、ガランドの脚色もあるとは思うが、非常に興味深く読める一冊かと思う。

自分の評価
★★★★☆85点

ポチっとお願いしますm(_ _)m
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tatsunootoshigo

Author:tatsunootoshigo
関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
コメント、トラックバック、相互リンク、大歓迎です。

サイト内検索

日本百名城のインデックス

百名城インデックスへ

百名城以外のインデックス

百名城以外インデックス

博物館などのインデックス

博物館などのインデックス

タヌキおやじの足跡

タヌキおやじの足跡

※本ブログにおける訪問した場所の記事とグーグルマップを関連付けたホームページです。

カレンダー

01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -

月別アーカイブ

ランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 その他趣味ブログへ blogram投票ボタン

広告・宣伝

whiteheights-banner3.jpg

QRコード

QR