タヌキおやじの日々の生活 野原茂「日本陸軍戦闘機の系譜図」を読破!!     

野原茂「日本陸軍戦闘機の系譜図」を読破!!



日本陸軍戦闘機の歴史について書いた本。
まあ、この手の本はよくあるかとは思うが、我が輩、どうしても、第二次世界大戦のものに集中してしまうので、全体を網羅すべく読んでみた次第。

第壱部 複葉から単葉へ
第一章 陸軍戦闘機隊の草創期
アンリ・ファルマン複葉機~甲式四型戦闘機
第二章 純国産戦闘機 実現への胎動
校式二型戦闘機~九五式戦闘機
コラム 「愛國號」陸軍機とは
コラム 飛行第二大隊と九五式戦
第三章 全金属製 単葉時代来る 九七式戦闘機

第弐部 一式戦から五式戦へ
第一章 太平洋戦争 緒戦の栄光
一式戦闘機「隼」
コラム 陸軍航空の組織、編成
第二章 重戦闘機の登場 二式単座戦闘機「鍾馗」
第三章 双発戦闘機の幻想 二式複座戦闘機「屠竜」
コラム 陸軍機の名命基準
第四章 液冷発動機搭載機の悲哀 三式戦闘機「飛燕」
コラム 陸軍戦闘機操縦者の養成
第五章 大東亜決戦号と呼ばれた機体 四式戦闘機「疾風」
第六章 陸軍最後の制式戦闘機 五式戦闘機
第参部 レシプロからジェットへ
第一章 夢なかばの試作機たち 試作戦闘機
第二章 幻と消えた次世代機 ロケット機・ジェット機
コラム 陸軍戦闘機の固定射撃兵器
あとがき

陸軍は、1910年に徳川大尉がアンリ・ファルマン機で初飛行し、1914年のドイツ領青島要塞攻撃では、モーリス・ファルマン複葉機を実戦に投入してごく初歩的な爆撃・空中戦・偵察を行った。
しかし、第一次世界大戦には、それほど深入りしなかった日本軍の航空技術は、欧米列強と比べると、かなり見劣りするものであった。
戦後、陸軍は、フランスから顧問団を招聘して、飛行技術の向上を図った。
当時、ドイツは敗戦で飛行機を保有することを禁止されていたし、陸軍国家のフランスから飛行技術を取得するというのは自然な流れであったであろう。
そして、陸軍は、メーカーにフランスの航空機のライセンス生産を行わせるようになる。
その後、国産の航空機を開発する動きが出てきて、まず、ドイツ・フランスの技術者を招聘して、準国産機を開発し始める。
ソ連などは、新兵器の開発を禁じられているドイツと秘密条約を結んで、領内でドイツに極秘理に航空機や戦車などの兵器を開発させていたので、日本も似たようなことをすればよかったのではないかと思うのだが、地理的に無理だったのかもしれない。
試行錯誤があったが、初の準国産戦闘機が九一式戦闘機であった。
これが1931年。
この十年後に、アメリカを敵に回して戦争を始めると考えると、この十年間は、日本は死にものぐるいで、航空技術の向上を図り、それをものにしたと言える。
同時に、十年では埋められなかった差は、戦争後期に戦局における明らかな劣勢となって、現れる。
おもしろいのは、川崎重工で、この会社は、ドイツを範にして、はじめから液冷エンジンを搭載した戦闘機を開発し続けた。
この流れは、終戦まで続き、川崎は、液冷戦闘機「飛燕」を開発するに至る。
会社ごとに文化が違って、技術の伝承という点でも異なるというのはおもしろい。
そして、ノモンハン事変では、陸軍は、九五式戦闘機と九七式戦闘機でソ連と戦う。
本書を読む限り、我彼の損害比は、64:207であり、当初は、圧倒的優勢であったが、末期になると伯仲していったということらしい。
これは、昔に読んだノモンハン事変の航空戦について書かれた本でも同じように記載されていた。
しかし、それによると、損害比は、最後には、同等であり、かなり日本軍が悲観的であるように書かれていたように思う。
どうも、日本人というのは、教訓をフィードバックするのが遅くなる傾向があるようだ。
九七式の後継として開発されたのが、一式戦闘機「隼」であった。
しかし、これは、どうも武装が貧弱であったり、発展性がなかったりと、成功作とはいえなかったようである。
日本では、加藤隼戦闘機隊で有名だが、活躍できたのは、太平洋戦争のごく初期といってよいだろう。
隼は軽戦闘機であったが、世界の趨勢は、重戦闘機に向かっており、陸軍は、海軍と比べて、その流れにはやく対応した。
それは、ある意味、ゼロ戦と比べて、隼が貧弱であったから、そうできたと言えるかもしれない。
また、陸軍の航空行政のほうが柔軟であり、軽戦と重戦の両方の開発を進めていたということもある。
そのはじめての重戦が中島製キ44二式単式戦闘機「鍾馗」であった。
それから、双発戦闘機の開発も行われた。
もともと、双発戦闘機は、海外でも日本でも長距離戦闘機として開発されたものであった。
しかし、単座戦闘機の敵ではないことが判明し、大抵の国では、夜間戦闘機や対爆撃機用戦闘機として使用されるようになる。
日本陸軍の二式複座戦闘機「屠龍」も海軍の月光と同じように、夜間戦闘機や対爆撃機用の戦闘機として使用されるようになる。
太平洋戦争のニューギニア戦では、隼が戦力と使うのは苦しくなってきたので、飛燕が投入された。
しかし、飛燕の液冷エンジンは整備が難しく、その稼働率の低さに悩まされた。
そのようなわけで、ニューギニア戦では、飛燕が活躍するのは難しかった。
その後、本土防空戦では、飛燕が大活躍するのである。
また、飛燕のエンジンを空冷に換装した五式戦闘機がもっとも本土防空戦で活躍する。
そして、大東亜決戦機の名称を冠せられた四式戦「疾風」は、フィリピン戦から登板するが、これも誉エンジンの不調に泣かされる。
ただ、中国戦線で戦った疾風の部隊はそれなりに活躍できたようだ。
これも、基地設備などの条件が揃っているかどうかで戦闘の結果が左右されるということであろう。
最後に、試作戦闘機について記載がされている。
キ102が若干戦闘に加わった以外は、ほとんど実用化されなかったらしい。
気密室にしろ、過給機にしろ、ジェットエンジンにしろ、どうも日本軍全体で、資源を分散させてしまい、有効に使えなかった感がある。
重複投資や重複開発が多かったと。。。
航空行政の失敗といってよいと思う。
中級の航空マニアといってよい我が輩からは戦前の航空機のこと以外は新しいことはなかったが、そこらを軽く知るためにはよい本かと思う。

自分の評価
★★★☆☆60点

ポチっとお願いしますm(_ _)m
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tatsunootoshigo

Author:tatsunootoshigo
関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
コメント、トラックバック、相互リンク、大歓迎です。

サイト内検索

日本百名城のインデックス

百名城インデックスへ

百名城以外のインデックス

百名城以外インデックス

博物館などのインデックス

博物館などのインデックス

タヌキおやじの足跡

タヌキおやじの足跡

※本ブログにおける訪問した場所の記事とグーグルマップを関連付けたホームページです。

カレンダー

01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -

月別アーカイブ

ランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 その他趣味ブログへ blogram投票ボタン

広告・宣伝

whiteheights-banner3.jpg

QRコード

QR