タヌキおやじの日々の生活 磯田道史「殿様の通信簿」を読破!!     

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磯田道史「殿様の通信簿」を読破!!



武士の家計簿の磯田道史の著作。
この人は、家計簿がヒットし映画化されたことで、一躍有名作家となった。
内容は、素人に読みやすく、信頼性も高いのではなかろうかと思う。
ただ、劇的な内容ではないため、最近は、家計簿ほどのヒット作はない模様。
地味に面白いのが特徴である。

目次
徳川光圀――ひそかに悪所に通い、酒宴遊興甚だし
浅野内匠頭と大石内蔵助――長矩、女色を好むこと切なり
池田綱政――曹源公の子、七十人おわせし
前田利家――信長、利家をお犬と申候
前田利常1――家康曰く、其方、何としても殺さん
前田利常2――百万石に毒を飼うべきや
前田利常3――小便こらえ難く候
内藤家長――猛火のうちに飛び入りて焚死す
本多作左衛門――作左衛門砕き候と申されよ
あとがき

そんなに多くの殿様を取り上げているという訳ではなく、7人。
中でも、光圀と内匠頭と利家の三人は超有名人物といってよいだろう。
磯田氏は、内匠頭には相当に厳しい。
浅野内匠頭だけではなくて、大石内蔵助に対しても相当手厳しい。
藩を潰してしまったということで、内匠頭だけでなくて、それを諫められなかった大石内蔵助にも厳しい。
磯田氏がそのように糾弾する根拠が、土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)という、元禄期に書かれた本で、公儀隠密が各地方に派遣されて収集した各藩の殿様の情報を集めた本であった。
松の廊下での刃傷沙汰を起こす前に書かれた土芥寇讎記でも、内匠頭は非常に評判が悪い。
女色におぼれ、このような殿様は必ずや国を亡ぼすであろうと。。。。
かなりきつい言い様である。
そして、磯田氏は、刃傷沙汰を起こす前にも内匠頭は事件を起こしていたのではないかと疑う。
これも謎であろう。
池田綱政は、岡山藩二代目であって、藩祖・池田光政の息子であった。
なにかと武断で厳格であった光政の反動から、綱政はかなり奔放になったらしい。
そして、女色を好み、作った子供の数が70数人。
家中は、綱政を馬鹿にしていたが、作った詩とか文章を読むと、非常に出来の良いものばかりであると。。。
要するに、武ではなくて、文を好み、風雅な殿様であったと。。。。
ある意味、当然の流れといってよい。
前田利家は説明するまでもない超有名人だが、その子の三代目利常は、あまり一般には有名ではない。
初代利家、二代目利長、三代目利常までの流れはある意味、壮絶である。
磯田氏は、この利常について一番多くの頁を割いて書いている。
戦国の世に生まれ遅れたが、もっと早く生まれていたら、非常な名将になったであろうと。。。
利家は、太閤の死後、秀頼を守るべく、家康となにかとつけ争ったが、あえなく、関ヶ原の前に死んでしまう。
その後に、加賀藩を継いだのが、利長であった。
利長は、名将というほどの人物ではないが、ある意味、自分を知り尽くしており、その限界も知っている。
なまじ、才があって、危なっかしい石田三成とは対照的な人物といっている。
そのようなわけで、利長は、利家の死後、その遺命に背いて、大阪を離れて加賀に帰るわけである。
利長は、西軍と東軍の中間にあって、その漁夫の利を得ようとする。
関ヶ原の時も、一応、東軍についたが、南下したり、戻ったりと、消極的な姿勢を見せる。
利長が悩み悩んだのが、大坂方との関係であった。
利長は、秀頼の味方をするべく、利家から遺命されているが、時代は、徳川の時代であり、秀頼の味方をすれば、お家は滅びると。。。。
利長は、自分の弟の利常を養子にし、この経緯も非常に賢く、ある意味、戦国の洗練された後継劇をみた感がある。
乱世においては、そうしないと、お家が滅びるわけである。
そして、利常だが、この人は、大坂の陣でその才能の片鱗を見せる。
その後は、徳川に取り潰されないように、極度の緊張の日々を送ることになる。
真田信之と同じような状況にあっているといえるであろう。
その鬱憤が反作用として現れたのが、珠姫の付き人の乳母の局に対してと、徳川家光に対してであった。
利常の正室・珠姫は、徳川から来ているわけだが、その付き人も徳川から来ており、前田家の内偵をするわけである。
しかし、利常の方が一枚上手であり、付き人もさまざまな嫌がらせをすると、そのうち、珠姫は、病で亡くなり、姫を愛していた利常の怒りが、その付き人に向かうと。。。
その刑が蛇攻めというものであった。
相当残酷な刑であるらしく、桶の中の大量の毒蛇に酒を飲ませて狂わせて、その中に人を入れると、蛇たちは、その人の穴の中に入り込んでいき、、、、という刑であるらしい。
そんなわけで、金沢城では、その付き人の霊が出るという噂がずっとあったらしい。
磯田氏の利常に対する評価。
『ただ、ひとつだけたしかなのは、利常が、織田信長がはじめた中世をぶち壊した狂気の精神を受け継ぐ最後の大名であったということである。
死ぬことはどうせ決まっている。
生きた証に狂った面白いことをしようではないか。
近世という時代をひらいたこの精神は信長の生をもってはじまり、利常の死をもって終わった。
日本人がふたたび、その種の時代精神をもちはじめるのは二百年の後、幕末という時代をまたねばならない。』
織田信長に心酔していた利家の精神が利常に宿って、その死をもって、戦国の精神を持つ人は死に絶えたと。。。
それ以降は、乱世型の殿様は、NGであり、ひたすら、神輿型の殿様がウェルカムであったわけである。
これも、時代の要請であろうと思う。
そこそこ面白く読める一冊であると思われます。

自分の評価
★★★☆☆70点

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関東育ちの三十路親父です。
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現在、日本百名城攻略中!!
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