タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第337弾『深大寺城』     

城郭シリーズ第337弾『深大寺城』

快晴の中、深大寺城と岡城を攻略。
これもかなり地味な城である。
相当なマニアでないと知らないような城。

深大寺城(じんだいじじょう)とは、東京都調布市深大寺元町にあった連郭式平城。
神代植物公園の附属施設である「水生植物園」内にある。

歴史
築城者は不明。15世紀には「ふるき郭」が築かれていたらしい。
16世紀に入って北条氏は相模に進出し、扇谷上杉氏は南武蔵の防衛ラインとして「ふるき郭」を活用している。
1530年6月、扇谷上杉朝興は深大寺城(「ふるき郭」と推定)に、北条氏康は多摩川対岸の小沢城に陣を敷き、小沢原で合戦になった。
1537年4月、父・朝興の跡を継いだ上杉朝定は難波田弾正広宗に命じて深大寺城を増築した。
しかしながら、同年7月、氏綱は深大寺城を迂回して河越城を直接攻め、朝定が松山城に敗走したため、深大寺城の軍事的価値が失われた。
その後、廃城になったと推定される。

まあ、要するにあれだ。扇谷上杉が北条への備えとして強化したが、迂回されてその甲斐なくやられてしまったということである。
背景を説明すると、戦国時代初期、上杉家には、おもに、扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)と山内上杉家というのがあった。
はじめは、両家が争っていたが、次第に相模方面から後北条氏が侵攻してきたので、両家は協力して後北条氏に対抗するが、及ばず、滅亡という結果になっている。

深大寺城の縄張り。
現在は、二の廓と一の廓が残されている。
そして、三の廓は、テニスコートになっている。
深大寺城 000

地図中の①の場所。二の廓。
建物の礎石が見つかったところ。
深大寺城 001-01

二の廓の土塁。
深大寺城 001-02

腰廓から二の廓への土塁。
深大寺城 001-03

地図中の②の場所。
二の廓から一の廓への土橋と門の跡。
深大寺城 002-01

二の廓と一の郭との間の空堀。
深大寺城 002-02
深大寺城 002-03
深大寺城 002-04
深大寺城 002-05
深大寺城 002-06

地図中の③の場所。一の郭。石碑。
深大寺城 003-01

一の郭はこのように鬱蒼とした感じである。
深大寺城 003-02

地図中の④の場所。
往時の城は三方が沼沢地となっていた。
現在も一部が公園の沼になっている。
深大寺城 004

感想
扇谷上杉の最後の意地を見せようと頑張ったが、あえなく無視されてしまった深大寺城。
このくらいの防備では、なかなか敵からの攻撃を防げそうもないなあと感じた。
まあ、もっとも昔はもっと堀も深かったのであろうが。。。。
鉄砲が現れる前だし。
確かに、北条の縄張りの方が技巧的で面白くはあると思った。

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参考


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