タヌキおやじの日々の生活 岡村道雄「日本の歴史01―縄文の生活誌」を読破!!     

岡村道雄「日本の歴史01―縄文の生活誌」を読破!!



むかし、管理人が幼かりしときは、「漫画日本の歴史」を読んで歴史に強くなったものであったが、あらためて、日本の歴史を読み直してみようと思った次第。

目次
第一章 列島最古の文化を求めて
第二章 「新人」たちの登場―後期旧石器時代
第三章 縄文文化の成立
第四章 三内丸山遺跡の生活誌
第五章 関東・中部地方の縄文集落
第六章 縄文人の一年―前期・中期定住社会の生活基盤
第七章 縄文人の一生―生と死と祈りの心情
第八章 大規模集落の解体と祭祀的社会
第九章 「縄文時代の終わり」は、何を意味するか

管理人が小学生のころと日本の歴史学において変わったことというと、三内丸山遺跡の発見であろう。
これは、縄文時代を研究する学者にとっては、エポックメイキングな事件であったようだ。
三内丸山遺跡とは、青森県にあった縄文時代の集落の跡である。
従来考えられていたような小規模な集落ではなくて、かなり大規模なものであった。
建物も大規模で長さを定規みたいなもので規定して設計して建造されていたらしい。
また、稲作などは当然行われていなかったが、栗の木を人工的に植えて栽培していたと。。。。
これは、栗の木がすべて似通ったDNAをもっていたことから判明したらしい。
さらに、その集落には酋長みたいな人がいたと。。。
残された墓には大きいものがあって、それはその地位を表しているのではなかろうかとのことであった。
ただ、集落は堀などでは囲まれていなくて、争いはそんなになかったようである。
そして、最後には縄文時代から弥生時代への変遷を書いている。
弥生時代とは、基本的に縄文文化を承継したものであったと著者は述べている。
要するに、縄文文化と弥生文化は完全に分離したものではなくて、縄文文化の延長線上に弥生文化があると。。。
だから、初期の弥生文化は縄文文化をもつ人々が稲作を行っていたと。。。。
また、弥生人と縄文人には基本的な差異はないとする。
一般的に、弥生人は北方系ののっぺりした顔で、縄文人は南方系の堀の深い顔であるとされている。
そして、弥生人は半島からやってきた人々が主であるという通説がある。
しかし、著者は、九州のある弥生時代の遺跡の人骨は、すべて縄文人の特徴を持っており、弥生人と縄文人の違いは、その食生活などに起因しているとする。
現代人が食べるときにあまり噛まなくなって、昔の日本人と顔が変わっているのと同じであると述べている。
そして、半島からやってきたのはごくわずかであると述べている。
ここらへんは、検証が必要なところであろうと思われる。
基本、管理人は「クニ」が発生したところくらいからしか興味がないのだが、それなりに面白く読めたかと思う。

自分の評価
★★★★☆75点

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