タヌキおやじの日々の生活 坂上康俊「日本の歴史05―律令国家の転換と「日本」」を読破!!     

坂上康俊「日本の歴史05―律令国家の転換と「日本」」を読破!!


奈良時代に構築された日本型律令制度がどのように形骸化されていったかが書かれる。

目次
第一章 平安遷都と皇位継承
第二章 天皇いかにあるべきか
第三章 帝国の再編
第四章 求法の人々
第五章 政務処理と法
第六章 摂関制度の成立
第七章 徴税論理の転換
第八章 地域社会の変容
第九章 受領と負名

律令制度の特徴の一つとして、何年かに一度、戸籍を作ることがあったが、その戸籍の中身が実体とは乖離していった。
当時の日本の民衆のメンタリティとして、そんなにたくさんのコメを生産しなくてもという感情があったらしい。
そのようなメンタリティは、人間の欲を活かす中国の律令制度に適合しなかった。
その結果、戸籍でも、ある国のものは、百歳以上の人間がたくさんいるという、あきらかにおかしい戸籍ができるようになった。
また、流民がたくさん発生したと。。。
そのため、農地を民衆に配分して、その作物を税として取り立てる班田収授の法が機能しなくなる。
ある資料によると、本来取れるべき分の半分くらいの税の量であったらしい。
また、軍団制は、新羅や唐に備えるものであり、また、再び朝鮮半島に侵攻するためのものであった。
ところが、新羅は、8世紀末から混乱状態になったし、朝廷も朝鮮半島に侵攻する意欲を失った。
そして、9世紀前半に、東北を除いて、軍団制は廃止された。
東北については、蝦夷との戦いが継続されていたので、残されたらしい。
遣唐使を送って、唐の法制度などを知識の吸収に努めた結果、日本でも立法をすることができるようになり、遣唐使を送る価値が低下した。
その後は、仏教の教えを吸収するために、空海などの坊さんが遣唐使で送られたと。。。
そして、そのような中で藤原氏が台頭していき、摂関政治のはしりが行われていく。

自分の評価
★★★★☆75点

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