タヌキおやじの日々の生活 下向井龍彦「日本の歴史07―武士の成長と院政」     

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

下向井龍彦「日本の歴史07―武士の成長と院政」


日本はサムライの国であると外国人などからよく言われるが、その侍、いわゆる、武士が登場してくる。
弥生時代に日本の国家の原型ができてから現在までの半分は大和朝廷が実権を握っていたが、後半分は武士によるものだったわけである。
その武士の誕生を書いた巻である。
日本の歴史自体より、武士に興味がある人は、ここから読み始めるべきなのかと思う。
ただ、歴史の連続性を考えると、それより前から読み始めるべきであろう。

目次
第一章 武士以前
第二章 武士たちの英雄時代
第三章 摂関期の武士と国家軍制
第四章 武家の棟梁の形成
第五章 激動の院政
第六章 武家政権に向かって

大化の改新で大和朝廷が律令制度を取り入れたのは、日本を軍事大国にするためであり、新羅や唐に備えるため、また、再び朝鮮半島に攻め入るためであったと前の巻に書いてあった。
一見、奈良時代というと、戦争らしい戦争がなくて平和な時代であったように考えている人が多いと思うが、実際には、軍団制によって徴兵が行われ、3人に1人が兵役に取られて、日本が20万という軍隊を持った超軍事国家であった時期であった。
あの頃の人口がどのくらいであったかはよく分からないが、現在の自衛隊より多い人数の軍隊をあの時代の国家がもっていたということに驚かされる。
しかし、その軍団は、一部が蝦夷との戦争に使われただけで、一部を除いて9世紀初めか8世紀の終わりに廃止された。
ただ、これも諸説あって、何らかの形で、9~10世紀まで一部は残っていたという説もあるらしい。
ウィキペディアなどを読むと、本巻とだいぶ異なる記載である。
徴兵制である軍団制が廃止されると、健児の制と呼ばれる志願兵による軍隊が編成されるようになったのだろうか。
ここらへんは、はっきりとはしないところなのかもしれない。
ただ、軍隊の規模が大幅に縮小されたことは明らかで、外征用の軍隊から治安や内乱に備えるための武力に変わっていった。
大和朝廷は、8世紀~9世紀に、蝦夷を征服して、その版図をどんどん北に広げていった。
そして、征服した蝦夷を懐柔するために、日本各地に移住させたらしい。
彼らを俘囚と呼ぶらしい。
この俘囚たちが、9世紀の各地の武力の一端を担ったとのことであった。
そして、武士は、俘囚たちの戦術を受け継いでいる面が大きいとのことであった。
俘囚たちは、騎馬と弓と斬撃による戦術をメインにしていたが、それを初期の武士が学び取ったと。。。
俘囚たちが使用した刀が蕨手刀(わらびてとう)というものであった。
騎乗しながら、刀を使う場合、直刀であったら、斬撃したときの衝撃がすごいのに対して、反っている蕨手刀であれば、その衝撃が外に逃げるわけである。
要するに叩き付けるかたちから、引いて切るかたちになるので良いあんばいになると。。。
その蕨手刀から進化したのが日本刀の祖先であったと著者は述べている。
しかし、俘囚たちは、再び東北地方に戻され、各地の武力は、減少し、治安が悪化した。
その治安を回復するために、武士の祖先みたいな人々が生まれたらしい。
一般に、武士は、在地有力者が自分を防衛するために武装して生まれたと考えられているが、著者は違うと述べている。
栄達を諦めて地方に下った貴族が、栄達のために武芸を磨いて、武功を挙げて、栄達しようとしたのがはじまりとしている。
そして、彼らの中から、平将門や藤原純友といった人々が出てきて、かれらは反乱を起こす。
興味深いのは、二人ともはじめは、中央で栄達しようとして、結果として中央から反乱としてみなされたということである。
将門の場合は、多分になりゆきでそうなったのに対して、純友の場合は、功を認めさせるために、強引な手段に出て、その結果、反乱に行き着いたという印象を受けた。
そして、皮肉なのは、かれらを討伐した人々がその後の武士として活躍したことである。
このころの軍制は、国衙軍制と著者は言っている。
武士の人々を国府?国衙?で登録しておいて、非常時には、かれらに回覧を回して、その参集を求めるというものであったらしい。
そのうちに、国司や荘園の管理をする人に武士がなるようになったり、在地有力者が武装して武士になるようになったと。。。
話は変わるが、東北の地では。。。。
9世紀~11世紀の東北の地は、アメリカの西部時代みたいな感じであったのだろうか。
蝦夷の後裔の俘囚がいたり、その長の俘囚長がいたりと、ある意味、フロンティアであったのかもしれない。
ここで、活躍したのが、源氏の源頼義・義家父子とか、藤原秀郷の子孫とか、俘囚長の安倍氏とかである。
安倍氏が一種の地方独立勢力みたいになっていて、そこに鎮守府将軍とかで頼義・義家父子がやってきて、うまい汁を吸いたかったわけだが、安倍氏はさっさた帰ってもらいたくて、あれやこれやで結局、戦争になって、最終的には源氏が勝ったのが、前九年の役である。
前九年の役の結果、清原氏というのが、奥州を治めることになったのだが、今度は、義家がいちゃもんをつけて、戦争になったのが、後三年の役だそうな。
その結果、奥州藤原氏が三代にわたって、栄華を誇ることになる。
一方、源氏の方は、激しい戦闘を繰り返して、その郎党と固い結束を結ぶことになり、このことは、のちに平家との抗争での勝因となった。
前九年の役と後三年の役では、残虐行為が凄まじい。
詳しくは述べないが、大和側と蝦夷側とである意味、異文化同士の戦いになるわけだが、そうなると残虐行為がエスカレートするものらしい。
ただ、前九年と後三年の役が源氏栄達のきっかけになったということは特筆すべきと思う。
しかし、義家のあとは、源氏は中央で優遇されず、平氏が重用されることになる。
まあ、いろいろと混沌としていて、面白い時代であることは間違いない。

自分の評価
★★★★☆75点

関連記事
日本の歴史01―縄文の生活誌
日本の歴史02―王権誕生
日本の歴史03―大王から天皇へ
日本の歴史04―平城京と木簡の世紀
日本の歴史05―律令国家の転換と「日本」
日本の歴史06―道長と宮廷社会
日本の歴史07―武士の成長と院政

ポチっとお願いしますm(_ _)m
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tatsunootoshigo

Author:tatsunootoshigo
関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
コメント、トラックバック、相互リンク、大歓迎です。

サイト内検索

日本百名城のインデックス

百名城インデックスへ

百名城以外のインデックス

百名城以外インデックス

博物館などのインデックス

博物館などのインデックス

タヌキおやじの足跡

タヌキおやじの足跡

※本ブログにおける訪問した場所の記事とグーグルマップを関連付けたホームページです。

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

月別アーカイブ

ランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 その他趣味ブログへ blogram投票ボタン

広告・宣伝

whiteheights-banner3.jpg

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。