タヌキおやじの日々の生活 トマス・D・コンラン「図説戦国時代 武器・防具・戦術百科」を読破!!     

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トマス・D・コンラン「図説戦国時代 武器・防具・戦術百科」を読破!!


トマス・D・コンラン氏は、アメリカの大学で教鞭を取られている方で、専攻はアジア研究だそうな。
欧米の方が書かれた日本の歴史ということで、どのように書かれているのか気になったのだが、かなり客観的な記述になっていると感じた。
大方、管理人が知っている知識ばかりであったが、大砲に関する記載は、例外で一見の価値があった。

目次
序章
第一章 騎馬武者
第二章 散兵
第三章 槍兵
第四章 武将
第五章 火器
第六章 大砲

どうも日本人の研究者が戦国時代について書くと、軍事学的な視点が欠けがちである。
その点、コンラン氏の著作は、槍兵、騎兵、弓兵、鉄砲兵と明確に区分して軍事学に則って記載している。
日本の騎馬武者は、その馬が小型であったために、騎兵突撃ができなかったという説があるが、コンラン氏もそれを支持している。
このことについては、今後、論争が続くのであろう。
戦国時代までは、散兵戦術と言って、騎馬武者対騎馬武者、個人対個人の戦術が多かった。
しかし、戦国時代には、集団戦になり、兵科が槍兵、弓兵、騎馬兵、鉄砲兵に組織化されていった。
織田・徳川連合軍が長篠の合戦で武田に勝利したのは、鉄砲を大量に使用したというより、集中して使ったことと、弾と火薬を大量に使用できたことにあるらしい。
というのは、武田もそれなりに鉄砲を装備しているからだ。
武田方も単に織田・徳川の野戦陣地に対して突っ込んでいった訳ではないらしい。
武田方の鉄砲で陣地側を撃って、鉄砲戦をやったり、熊手みたいなもので柵を倒そうとしたりしたと。。。。
しかし、織田・徳川方もそれをさせないために、鉄砲兵を槍兵と弓兵で守ったので、最終的には織田・徳川方の勝利となった。
結局、武田方の重臣たちが戦死したり、戦死者が多くでたのは、退却戦の時であった。
面白いのは、日本における火縄銃の改良は、その命中率をあげることに注がれたということである。
対して、ヨーロッパでは、発射速度を上げることにその労力が注がれたとコンラン氏は述べている。
日本においては、物資が少なかったので、自然、命中率を上げて、物資が欠乏するのを防ごうとしたのであろう。
ヨーロッパでは、物資が豊富であったので、発射速度を上げることに集中したと。。。
この傾向は、のちの太平洋戦争でも同じであり、日本とヨーロッパの考え方の違いということで興味深い。
最後は、戦国時代における大砲の使用である。
西国、特に九州においては、大砲はかなり昔から使われていたらしい。
城攻めの時に使用したらしい。
しかし、10門以上を本格的に集中的に使用したのは、徳川家康による大坂冬の陣がはじめであった。
本格的な大砲戦が行われるようになる前に戦国時代が終わってしまったと言ってよいであろう。


自分の評価
★★★★☆75点

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現在、日本百名城攻略中!!
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