タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第358弾『岡豊城(その1)』     

城郭シリーズ第358弾『岡豊城(その1)』

高知県の続百名城めぐりをするために愛車を駆って高知県へ。
続百名城自体は岡豊城だけだが、この日は岡豊城と浦戸城に登城。
どちらも長宗我部の城である。

鎌倉時代初期に、信濃秦氏の一族が信濃より土佐へ移住して宗我部氏(そのときの当主は能俊)を名乗る。
その後、長岡郡宗部郷(現在の南国市岡豊町)に定住したことから、長宗我部氏と名乗るようになった。
この頃(13世紀~14世紀)、長宗我部氏は岡豊城を築城したと推定される。
戦国時代に入ると、土佐の国は、長宗我部氏、本山氏、山田氏、吉良氏、安芸氏、大平氏、津野氏の「土佐七雄」と呼ばれる有力国人による戦乱の時代の始まりとなった。
1508年(永正5年)に、本山氏、山田氏、吉良氏などの連合軍によって岡豊城は落城する。
当主・長宗我部兼序は自刃、兼序の子・国親は土佐南西部の中村の一条氏のもとに落ち延びる。
1518年(永正15年)に、長宗我部国親は、一条氏の取り成しで旧領に復し岡豊城に入った。
一方で、兼序は岡豊城落城の際に自害せず土佐国内に亡命しており、1511年に岡豊城主に復帰、その後、息子・国親へ家督を譲ったという説もある。
岡豊城を足掛かりに国親は土佐の有力大名へと成長し、一条氏、本山氏、安芸氏とともに土佐を四分するまでになった。
1574年(天正2年)に、国親の子・元親は、主家であった一条兼定を豊後に追放し土佐を平定。
1585年(天正13年)に、元親は、四国を統一した。
しかし同年、羽柴秀吉の進攻により降伏し土佐一国に押し込められた。
この後、1588年(天正16年)に、大高坂山城(現在の高知城)に本拠を移したが治水の悪さから再び岡豊を本拠とした。
だが、1591年(天正19年)に、新たに浦戸城を築いて移った為、長宗我部氏累代の本拠・岡豊城は廃城となった。

岡豊城の縄張り。
岡豊城地図

長宗我部元親の銅像である。
まあ、四国を代表する梟雄といってよいだろう。
岡豊城 000

二の段への階段。地図参照。
岡豊城 001-1

二の段。
岡豊城 001-3

二の段から堀切と詰下段を見る。
岡豊城 001-4

左手に堀切、正面に詰下段。
岡豊城 002

詰下段。建物の礎石らしい。
岡豊城 003-1

詰下段。
岡豊城 003-2

詰と櫓。櫓は期間限定だったらしい。
岡豊城 003-3
岡豊城 004-1
岡豊城 004-2
その2に続く。

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城郭シリーズ第359弾『岡豊城(その2)』
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参考
よみがえる日本の城 (13) (歴史群像シリーズ)よみがえる日本の城 (13) (歴史群像シリーズ)
(2005/02)
不明

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