タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第361弾『浦戸城』     

城郭シリーズ第361弾『浦戸城』

岡豊城のあと浦戸城に登城。
愛車に乗って高知平野を疾駆した。
浦戸城は、桂浜とか坂本龍馬記念館のそばにあるというか、もと城の中にそれらがあるといってよい。
これも長宗我部の城である。
元親は岡豊城の次にここを本拠としたと。。。

城跡のある浦戸山には、鎌倉時代~室町時代初期に城砦が存在していたとされる。
1532年~1554年(天文年間)、本山茂宗(清茂)が本城を築城する。
1560年(永禄3年)、長宗我部国親が長浜の戦いにて本山氏を破り、本城を支配下に収める。
1588年(天正16年)、岡豊城を主城としていた国親の子・元親は、大高坂山(現在高知城のある山)に城を移したが、水害が多かったため、3年後に、浦戸城を本格的な城郭に改築し、居城とした。
1600年(慶長5年)、長宗我部氏は関ヶ原の戦いで石田三成方(西軍)に付いて敗北し、改易された。
同年、山内一豊が代わって土佐藩主となったが、一領具足と呼ばれる長宗我部旧臣の抵抗に遭い入国出来ない状態であった。
城の受けとりの際に、長宗我部氏の旧臣は「浦戸一揆」と呼ばれる50日間に及ぶ頑強な抵抗を行った。
1601年(慶長6年)1月になってようやく山内一豊が入城した。
しかし、この地では手狭であると感じ、高知城建設に着手。
1603年(慶長8年)に高知城が完成したため浦戸城は廃城となった。

現在の城跡付近の地図。龍馬記念館に行くと浦戸城跡に行ったことになるが、注意しないと遺構に遭遇しない。
浦戸城 000-1
浦戸城 000-2

浦戸城復元図。
下側が桂浜と後に呼ばれるところ。
天守閣と本城(本丸?)の左側に細い郭(五間)が二つあるがその間の井戸と下側の郭の上側の石垣が残っている。
あと、天守台と天守台の石垣の一部。
浦戸城 000-3

よくわからんが、むかしは天守閣への門があったかもしれないところ。
浦戸城 001-0

天守台付近の石碑。
浦戸城 001-1

天守台の石垣。一部しか残っていない。
地図中の①の場所。
浦戸城 001-2
浦戸城 001-3
浦戸城 001-4

天守台の上部。
浦戸城 002

地図中の②の場所。
浦戸城 004-1
浦戸城 004-2

地図中の③の場所。
井戸跡である。
浦戸城 003

長浜を望む。
浦戸城 005

感想
龍馬記念館とか保養所の建設で遺構がほとんど失われているのが残念であった。

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グーグルマップ上で見る日本の城郭

参考
よみがえる日本の城 (13) (歴史群像シリーズ)よみがえる日本の城 (13) (歴史群像シリーズ)
(2005/02)
不明

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