タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第366弾『岩櫃城(その1)』     

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城郭シリーズ第366弾『岩櫃城(その1)』

続百名城スタンプを得るために岩櫃城攻略。
JR高崎駅からレンタカーに乗って沼田城→名胡桃城→岩櫃城と連続登城した。

岩櫃城の簡単な歴史である。

築城年および築城主は不詳。
鎌倉時代に吾妻太郎助亮によって築城されたとの伝説がある。
後に助亮系の吾妻氏(前期吾妻氏)は姿を消し、下川辺氏末裔とされる吾妻氏(後期吾妻氏)がこの地を支配する。
南北朝時代に南朝方の攻撃で吾妻行盛が戦死し、その子・千王丸は秋間斎藤氏の斎藤梢基に庇護され、山内上杉氏の偏諱を受け斎藤憲行と名乗った。
この憲行に始まる秋間斎藤氏6代の時代に、岩櫃城は築かれたとみられる。
また、1405年(応永12年)、越前国大野郡にあった斎藤基国の子・斎藤憲行がこの地に入部して築城したとの説もある。
1563年(永禄6年)、武田信玄配下の真田勢の攻勢を受け、家臣の内応もあって落城、斎藤憲行は越後に逃走する。
その結果、斎藤氏の勢力は駆逐された。
斎藤氏滅亡によって武田氏の領国支配下に入り、武田家郡代として真田氏が岩櫃城主となり、吾妻郡支配の中心的役割を担うようになっていった。
そして沼田城が真田氏に攻略されると、その支城として扱われた。
武田家滅亡の際に、真田昌幸は武田勝頼に逃れてくるよう奨めたが叶わず武田氏は滅亡する。
その後も真田氏は生き延び豊臣秀吉に属し大名として存続した。
江戸時代、徳川氏の時代になると、真田氏もその傘下となる。
1614年(慶長19年)、徳川幕府の一国一城令により、廃城とされた。

岩櫃城の復元想像図。
岩櫃城 000-1

縄張り。
岩櫃城 000-2

岩櫃山のふもとに岩櫃城が存在する。
岩櫃城 000-3

地図中の①の場所。登城口。岩櫃山への登山口でもある。
岩櫃城 001-1

いきなり出てきたのがこの標識。
山城を登城するときは、かなりの高確率でこの手の標識に遭遇する。
岩櫃城 001-2
岩櫃城 001-3

地図中の②の場所。中城。
岩櫃城 002-1
岩櫃城 002-2

地図中の③の場所。
岩櫃城 003-1
岩櫃城 003-2
その2に続く。

関連記事
城郭シリーズ第366弾『岩櫃城(その1)』
城郭シリーズ第367弾『岩櫃城(その2)』
城郭シリーズ第368弾『岩櫃城(その3)』
グーグルマップ上で見る日本の城郭

参考


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今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
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「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
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