タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第376弾『興国寺城(その1)』     

城郭シリーズ第376弾『興国寺城(その1)』

興国寺城歴史まとめ

1487年(長享元年)、室町幕府官僚であり今川氏の客将であった伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いでの論功行賞により興国寺城を手に入れ本拠地としたとされている。
その後、北条早雲は、伊豆に侵入し、伊豆国の領主となって韮山城に移ったとしている。
1537年(天文6年)、興国寺城を守っていた北条方の城番・青地飛騨が武田信虎に寝返って同氏の被官となり、興国寺城はその後行われた今川義元と信虎息女の婚姻に際して化粧料として今川方に引き渡されたというが、定かではない。
そして、1554年(天文23年)、甲相駿三国同盟が締結されたため、興国寺城周辺は緊張状態から脱した。
1568年(永禄11年)12月、武田信玄が甲相駿三国同盟を破棄して駿河に侵攻、北条氏康は今川方の援軍として興津(静岡市清水区)まで兵を出すが、この際に興国寺城を自領に収め、城の改修を実施していた。
興国寺城は、武田氏と北条氏との間で争奪戦の場となる。
1571年(元亀2年)、甲相同盟が再び成立すると、興国寺城は武田氏に引き渡された。
1582年(天正10年)3月、武田氏が滅亡すると興国寺城は徳川領となる。
1590年(天正18年)、徳川家康が関東へ入封されると中村一氏の家臣・河毛重次が在番した。
関ケ原の合戦の後、1601年(慶長6年)、徳川氏創業の功臣として興国寺城の城主となった天野康景が1万石で入封し興国寺藩を立藩する。
しかし、1607年(慶長12年)3月、康景は領内の問題で責めを負いその裁定に不満を募らせて出奔、興国寺藩は改易となり、同時に興国寺城は廃城となった。

整備するらしい。整備後の興国寺城址。
興国寺城 000-1

興国寺城縄張り図。
興国寺城 000-2
興国寺城 000-3

本丸土塁。地図参照。
興国寺城 001-1
興国寺城 002-1
興国寺城 002-2
興国寺城 002-3

天守台の石垣とされるもの。
興国寺城 003-1
興国寺城 003-2
興国寺城 003-3
その2に続く。

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城郭シリーズ第377弾『興国寺城(その2)』
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参考
よみがえる日本の城 (11) (歴史群像シリーズ)よみがえる日本の城 (11) (歴史群像シリーズ)
(2004/12)
不明

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