タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第378弾『大多喜城(その1)』     

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城郭シリーズ第378弾『大多喜城(その1)』

アクセスがわるかった。
千葉県、大多喜城址である。
本多忠勝が城主であったことで有名である。
その前の城主であった真里谷氏とか正木氏はかなりローカルであろう。
正木氏の主である里見氏は南総里見八犬伝とかで比較的有名かもしれない。

大多喜城れきしまとめ。

1521年(大永元年)、真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされる。
1544年(天文13年)、信清の後を継いだ真里谷朝信は、里見氏の武将正木時茂によって城を奪われ、以後、正木時茂・信茂・憲時の3代に渡って正木氏が支配して、上総国東部支配の拠点とされた。
1590年(天正18年)、里見氏が惣無事令違反を理由に上総国を没収されると、同国は徳川家康に与えられ、その配下の勇将・本多忠勝が城主となり、大多喜藩10万石が成立した。
忠勝は里見氏の北上を防止するために突貫工事を行い、3層4階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行い、ふもとに城下町の建設を行った。これが今日の大多喜城である。
1619年(元和5年)9月、藩主阿部正次の転封により大多喜藩は一時的に廃藩となったため、城は荒廃した。
1671年(寛文11年)12月、阿部正春が1万6000石で入城するが、大多喜城は荒廃したままであったようだ。
明治3年12月、城は取り壊され、その後本丸も削平された。

大多喜城縄張り。
大多喜城 000-0
大多喜城 000-1
大多喜城 000-2

地図中の①の場所。大手門跡。今は何もなし。
大多喜城 001

地図中の②の場所。二の丸への入り口。
大多喜城 002

地図中の③の場所。かつては二の丸御殿薬医門であったらしい。。
大多喜城 003-1
大多喜城 003-2
大多喜城 003-3

二の丸から見た本丸。
大多喜城 004-1

二の丸の大井戸。
大多喜城 004-2
その2に続く。

関連記事
城郭シリーズ第378弾『大多喜城(その1)』
城郭シリーズ第379弾『大多喜城(その2)』
グーグルマップ上で見る日本の城郭

参考


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