タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第17弾『イェディクレ』     

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城郭シリーズ第17弾『イェディクレ』

城郭シリーズ第17弾は、イェディクレである。
トルコ共和国の首都イスタンブールの南西にある城砦で、テオドシウスの城壁の南端を一部とする。
ちなみに、イェディクレとは、「7つの塔」を意味するそうだ。

歴史はというと、西暦388年に、テオドシウス1世が、南北2つの塔門を持つ「黄金の門」をローマ様式で建てる。
「黄金の門」は、城壁の4本の塔の中央のアーチ型の門である。
黄金の板で被われ、ファサードは彫刻で装飾されていた。
413年に、テオドシウス2世が1重の城壁を造る。
その際に、黄金の門の北側の4つの塔門が城壁(テオドシウスの城壁)に組み込まれる。
1133年に、ヨハネス2世は、コムネノス家の故郷である小アジアのカスタモンをトルコ人から奪回し、黄金の門で凱旋式を行う。
1261年に、ミカエル8世は、ラテン帝国に奪われていたコンスタンティノープル(現イスタンブール)を奪回し、黄金の門で凱旋式を行う。
1261年以降、ビザンツ帝国は敗北し続けたので利用される機会がなく、防備の補強のために「黄金の門」はふさがれて、壁となる。
1453年に、コンスタンティノープルはオスマン・トルコ帝国のメフメット2世により攻略される。
15世紀に、メフメット2世が「黄金の門」の東側に「北の塔」「東の塔」「南の塔」を建て、それらを壁でテオドシウスの城壁に繋ぐ。
このようにして、7本の塔とそれを繋ぐ壁で、5角形の砦「イェディクレ」が形成された。

北西の塔と黄金の門。
IMG_1552.jpg

黄金の門。
IMG_1554.jpg

北の城壁。
IMG_1555.jpg

北の塔。
IMG_1556.jpg

北の城壁。
IMG_1557.jpg

東の塔。
IMG_1558.jpg

北の塔と東の塔の間にある城門。
IMG_1559.jpg

イェディクレの内部。
IMG_1560.jpg

同じくイェディクレの内部。
真ん中にあるのは、黄金の門の裏側。
IMG_1561.jpg

感想
黄金門をもうちょっと近くで見たかったのだが、柵で囲ってあって見ることができなかった。
無念である><
もう夕方になっていたので、中に入ることもできなかった。
これまた無念であった><
オスマン朝のスルタンが、イェニチェリ軍団に反乱を起こされて、ここで絶命したとか。。。
そのスルタンも無念であったであろう><

参考にしたサイト
スパークリング・トルコ

参考
オスマン帝国500年の平和 (興亡の世界史)オスマン帝国500年の平和 (興亡の世界史)
(2008/10/25)
林 佳世子

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