タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第44弾『足利氏館・鑁阿寺(その1)』     

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城郭シリーズ第44弾『足利氏館・鑁阿寺(その1)』

本日は、足利氏館(鑁阿寺)を攻略してきた。
午前9時半、実家を出発し、実家の車を運転すること二時間くらいだったか、足利氏館(正確には、足利氏館跡)に到着する。

ともあれ、15/100名城攻略達成。先はまだまだ長い。
足利氏館スタンプ

足利氏館跡(鑁阿寺)は、栃木県足利市家富町にある中世武士館跡である。
ちなみに、鑁阿寺(ばんなじ)は、足利氏館跡に建てられた真言宗大日派の本山である。
詳しくは、ウィキペディアの記述をまとめると、
12世紀の半ばに、足利氏の祖・源義康が、同地に居館(足利氏館)を構える。
1196年(建久7年)に、足利義兼(戒名:鑁阿)が、理真を招聘し、自宅である居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立する。
1234年(文暦元年)に、足利義氏が伽藍を整備、足利氏の氏寺となる。
南北朝時代 鶴岡八幡宮の支配下となる。
だそうな。

ようするに、鎌倉時代の足利氏の館だったものに寺院を建て、館を寺院が乗っ取ったために、中世武士館の遺構が残ったと。。。
ネットを調べてると、足利氏館は、城ではないとか、百名城に選ばれた理由が分からないとかの意見もあるが、堀があって土塁があるということで最低限の防御がなされていることから城館と言えなくもないであろう。
また、百名城の大部分が戦国時代・江戸時代に造られたものであることから考えると、鎌倉時代、それ以前に造られたものは貴重であり、十分に百名城に選ばれる根拠はあると思う。

ともあれ、足利氏館(鑁阿寺)の地図。きれいな方形館となっていることが分かります。
古代ローマ軍の軍団基地もこんな感じだったなあと思った。
足利氏館地図

正門である太鼓橋と山門。
足利氏館・足利学校 009

西門。室町時代のものだそうな。
足利氏館・足利学校 005

館の隅の部分。堀と土塁があることが分かる。
足利氏館・足利学校 007

太鼓橋と堀と土塁。館の正面である。
足利氏館・足利学校 008

同じく、堀と土塁。
足利氏館・足利学校 011

東門。これも室町時代のものであるようだ。
足利氏館・足利学校 015

土塁がどのぐらいの高さなのかが分かる。2メートルくらいか。往時はもっと高かったのかもしれないが、あまり高くはない。
足利氏館・足利学校 016

北門。これは江戸時代のものだそうな。
足利氏館・足利学校 019

城郭シリーズ第45弾『足利氏館・鑁阿寺(その2)』に続く。

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現在、日本百名城攻略中!!
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