タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第45弾『足利氏館・鑁阿寺(その2)』     

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城郭シリーズ第45弾『足利氏館・鑁阿寺(その2)』

城郭シリーズ第44弾『足利氏館・鑁阿寺(その1)』の続き。

本堂。正安元年(1299年)建立。国指定重要文化財。
足利氏館・足利学校 023

多宝塔。
足利氏館・足利学校 024

寺院内から見た土塁。
足利氏館・足利学校 038

続いて、隣にある足利学校に向かう。
どういう訳か、足利学校も部分的に堀と土塁に囲まれているのである。
ネットで調べてみてもこの理由は書いていなかった。
どなたか知ってる方は教えてくだされ。
足利学校の堀と土塁。
足利氏館・足利学校 043

同じく。
足利氏館・足利学校 045

入徳門。
足利氏館・足利学校 048

裏門。裏にはないのになぜか裏門である。
足利氏館・足利学校 050

学校門。
足利氏館・足利学校 051

孔子廟。
足利氏館・足利学校 053

方丈。講義や催し物や接客をする建物だそうな。
足利氏館・足利学校 055

感想
堀や土塁は、足利氏館より足利学校の方が立派だったような気がした。
おそらく、昔は、足利氏館にしろ足利学校にしろ、堀はもっと幅が広く、土塁も高かったであろうと思う。
また、楠木正成の赤坂千早城の戦い以前に日本ではたいした攻城戦がなかったことを考えると、武士といえども、このぐらいの備えで十分であったのであろう。
構造で戦国時代・江戸時代の城郭と較べてしまうと、足利氏館の重要性が見えなくなってしまうような気がする。
鎌倉時代付近の武士館の雰囲気を少しでも味わうことができるという意味で貴重な遺構である。

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