タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第63弾『掛川城』     

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城郭シリーズ第63弾『掛川城』

駿府城に続いて掛川城を攻略。

掛川城(かけがわじょう)は、遠江国佐野郡掛川(現在の静岡県掛川市掛川)にあった平山城であり、別名、懸川城、懸河城、雲霧城、松尾城。

歴史はというと、例によってウィキペディアの記載を改変して載せると、
文明年間(1469年~1487年)に、守護大名・今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられている。
1568年(永禄11年)に、主家の今川氏が武田信玄・徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭い、今川氏真は、朝比奈泰朝のいる掛川城に逃げ延びた。
このため、掛川城は徳川勢の包囲に遭うが、泰朝は城を守ってなかなか落城しなかった。
しかし、和議で主君氏真の身の無事を家康に認めさせると、泰朝は開城を決断した。
1569年2月8日(永禄12年1月23日)に、氏真と泰朝は掛川城を開き、相模国の小田原城へ退去し、掛川城には城代として家康の重臣・石川家成・康通親子が入った。
間もなく駿河国に入った武田信玄が徳川家康と敵対する。
しかし、掛川城は1582年(天正10年)の武田氏の滅亡まで徳川氏の領有であり続けた。
1590年(天正18年)に、家康が東海から関東に移封されると、掛川城には豊臣秀吉の直臣であった山内一豊がで入城する。
一豊は、掛川城の大幅な拡張を実施し、掛川城を近世城郭とした。
1600年(慶長5年)に、関ヶ原の戦いが終わると、一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転した。
その後、掛川城には多くの譜代大名が入ったが、最終的には太田氏(太田道灌の一族の系列)が入り、何度か城の修築も行われている。
1854年(安政元年)末に、東海地方一帯を大地震が襲い、掛川城も天守を含む大半の建物が倒壊した。
1861年(文久元年)に、政務所である二ノ丸御殿が再建される。
1994年(平成6年)4月に、天守が再建された。
再建された天守は木造であり、日本初の木造復元天守である。

掛川城スタンプゲットだぜ!!23/100名城攻略達成!!
掛川城スタンプ

掛川城古地図。
掛川城古地図

大手門。復元である。実際にあった場所より50メートル離れているそうな。
掛川城001

大手門裏の番所。これは、現存だそうな。ある意味、大手門より貴重。
掛川城002

三日月堀。コンクリートで固められているのが悲しい。なんとかならなかったのか。
掛川城003

城門と天守閣。
掛川城004

こんな感じであったと。
掛川城005

城門跡の石垣。本丸内から。
掛川城006

太鼓櫓。三の丸にあったものを移築したそうな。
掛川城007

天守丸にある霧吹き井戸。
家康に攻められた時に霧を吹いて氏真を守ったそうな。
ホントかいな???
掛川城008

天守閣。
掛川城009

同じく。
掛川城010

二の丸御殿。これはすごくよかった。はっきり言って掛川城の中でこれが一番見ごたえあった。
掛川城011

同じく。二の丸御殿玄関。
掛川城012

感想
徳川軍の攻撃を防ぎ、武田軍の攻撃を防ぎ、高天神城を上回る堅城ぶりを見せつけた掛川城。
しかし、吾輩が見る限り、そんなに堅固そうには見えなかったのだが。
堀が埋め立てられているから、そういう風に見えないのだろうか。
御殿以外は、意外と期待外れだったような気がした。
堀をコンクリートで固めるのはよくないと思う。

関連記事
グーグルマップ上で見る日本の城郭

参考
よみがえる日本の城 (11) (歴史群像シリーズ)よみがえる日本の城 (11) (歴史群像シリーズ)
(2004/12)
不明

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コメント

掛川は「嫁殺し」の町と言われています。というのも地下水の水位が
低い為、井戸の水くみに苦労したからです。いまでもそれは変わらず
市内では十分な水量が確保できないため、大井川水系の水を購入して
いるため、水道料金は安いとは言えません。そんなわけで堀の水位を
確保するのにコンクリート造りなのは仕方がない面があるでしょうが、
長期的にはそれらしく見せない対応が必要だと思われます。

ところで掛川城の天守は東側からはかなり旧市内に入らないと
見ることができませんが、西からはかなり遠くから見ることができます。
このことからも、大坂方が対徳川氏への補給基地の目印として役割の
位置づけをしようとしていたことが理解できると思うのです。
  • 2016-07-28 22:44
  • URL
  • ねこあたま #d3xRQPUk
  • Edit

Re: タイトルなし

三日月堀をコンクリートにしたのは、それなりの理由があったわけですね。
納得しました。
ただ、はじめての木造復元天守閣ということで、すばらしい城であることは変わりがないと思います。

>このことからも、大坂方が対徳川氏への補給基地の目印として役割の
>位置づけをしようとしていたことが理解できると思うのです。

なるほど、そのような役割もあったのかもしれませんね。
秀吉から見ると、家康の存在は、かなりの脅威だったんでしょうね。
  • 2016-07-30 13:13
  • URL
  • tatsunootoshigo #-
  • Edit

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関東育ちの三十路親父です。
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