タヌキおやじの日々の生活 安部龍太郎「生きて候」を読破!!     

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安部龍太郎「生きて候」を読破!!

昨日は、松阪城と伊賀上野城を攻略してきた。
疲れ果てました。

生きて候生きて候
(2002/10/18)
安部 龍太郎

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だいぶ昔に買ったものを再読する。
この著者の作品は、これしか読んだことがないと思う。
なんか、安部晋三と橋本龍太郎を合わせたような名前の著者である。
と、冗談は置いておいて、本多政重という武者が主人公の小説である。
ちなみに、本多政重(ほんだ まさしげ)とは、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将であり、父は本多正信だそうな。
この人は、三河武士としては、異色の人生を送った人であった。
徳川秀忠の乳母の息子を斬り殺して徳川家を出奔して、いくらかの大名家に仕え、最終的には加賀前田家に仕えたらしい。
父の本多正信と兄の正純が謀臣であったのに対し、この人は、槍一筋の武者であったらしい。
まあ、秀忠の乳母の息子を斬り殺して出奔するという行動から考えると、父と兄とはおおよそ似ていないと感じる。
しかし、ウィキペディアの記載によると、一説には正信の意を受けて間諜役を務め、諸大名の動静を探っていたとも言われているそうな。
司馬遼太郎もその説を取り、そのようにこの人物を書いていた。
司馬は、本多正信が嫌いということもあり、正信、正純、政重をぼろくそに書いていた。
ちなみに、なにに書かれていたのかは覚えていない。
まあ、本多親子に対する司馬遼太郎の書き方、考え方は、極端だと思う。
対して、この小説では、本多正信と政重を善玉とし、正純を悪玉に仕立て上げている。
人の数だけ正義があるように、人の数だけ事実の取り方もあるのだ。
まあ、この小説は、あくまでも史実を基にしたフィクションであるが。。。

ともあれ、あらすじはというと、
『美しく己の命を使い切れ!
養父の残した言葉を胸に刻み、一代の風雲児の半生が幕を開けた。
その名は政重。
家康の懐刀本多正信の次子にして、鬼落としの大業で知られた槍の達人。
故あって徳川家を致仕し、慶長の役の最中朝鮮半島に渡る。
そして天下分け目の大一番、宇喜多秀家のもとにあった政重は、士道の是非を賭けて、いま関ヶ原に臨む!』
という感じです。(帯より引用)

まあ、顔の広い人物であったことは間違いないようである。
また、関ヶ原後の宇喜多秀家や前田家のために奔走していることや上杉家からも頼られていることからも、司馬遼太郎の書き様は、ちょっとひどいんじゃないのという気もする。
しかし、この小説では書かれていないが、大阪冬の陣では、真田幸村(信繁)の真田丸の餌食になったらしい。
槍武者としては一流、周旋者としてもそれなりの評価を与えてもいいと思うが、武将としては疑問符がつくなと思う。
ともあれ、本多正信の次子、政重を書いた時代活劇小説としては面白く読めると思う。

自分の評価
★★★☆☆50点

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関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
座右の銘は、
「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
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