タヌキおやじの日々の生活 宇田川武久「江戸の砲術師たち」を読破!!     

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宇田川武久「江戸の砲術師たち」を読破!!

う~む、梅雨とは言え、こうまでに雨ばかりだと気が滅入るな~

江戸の砲術師たち (平凡社新書)江戸の砲術師たち (平凡社新書)
(2010/02/16)
宇田川 武久

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江戸期の各藩における砲術指南役などは、どのように日々を過ごしていたのかかねてより興味があったので、読んでみた。
読んでみたものの、本書、起承転結がなく、何が言いたいのかがわからない。
それに、単なる事実を並べただけで、それらの事実から何を分析してどういう主張をしたいのかがわからない。

ともあれ、内容の紹介(カバーより引用)
『1543年、鉄砲はポルトガル人により日本に伝えられた。
戦国乱世の時代には、武器として多くの鉄砲が求められ、戦闘様式や築城法などにも大きな影響を与えてきた。
江戸時代には、文治政治へと移行していく過程の中で、回国の生活を過ごしてきた砲術師たちが、身分制社会の規範として仰がれ、武芸としての砲術が花開く。
砲術に生きた師範と門弟、関流砲術を継ぐ関内蔵助家の家族模様を写しだす。』

目次が
第一章 関流砲術の誕生
第二章 砲術思想の多様性と再編
第三章 砲術武芸者像の創出
第四章 大筒町打の継承と故実
第五章 流祖之信の遺産
第六章 関流砲術の門人帳の復元
第七章 大筒の鋳造と鍛造
第八章 内蔵助家の家族と日常
である。

まあ、読んだ限り、日本の砲術は、幕末期における西洋砲術の導入に関しては、なんの寄与もしなかったようである。
ただ、面白いのは、砲術も武芸として江戸期を経ていったことである。
そして、陰陽五行説など、捉え方によっては怪しげな、さまざまな思想の裏付け(装飾とも言う)を行い、砲術道的なものを作り上げていったみたいだ。
主に、関流砲術について書かれている。
関流砲術は、開祖は元上杉家家臣・関之信で、之信が、上杉家中の丸田盛次に師事して霞流砲術の奥義を極め、関流を称することを許されたものらしい。
その背景には、直江兼続が、鉄砲戦力を重視したことがあるらしい。
寛永年間、関之信は、上総国の久留里藩に仕えたが、久留里藩改易ののちは久留里藩主・土屋家と同族の土屋家が藩主である土浦藩に移り明治維新まで同藩に伝わったらしい。

まあ、江戸以降の日本の砲術は、世の中の動きに何ら影響を及ぼさなかったといってよいのだろうか。
でも、幕末期の日本で作られた西洋式大砲が、日本の鋳物師などによって作られたのを見ると、西洋銃陣を採用するにあたって、日本の砲術があったことが、その基本となっているということは言えるかもしれない。
もうちょっと、詳しく書かれた本を読んでみたいものである。

自分の評価
★★☆☆☆30点

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関東育ちの三十路親父です。
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現在、日本百名城攻略中!!
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「はやきこと風の如く、
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