タヌキおやじの日々の生活 司馬遼太郎「最後の将軍―徳川慶喜」を読破!!     

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司馬遼太郎「最後の将軍―徳川慶喜」を読破!!

あ~、旅に出たい。

最後の将軍―徳川慶喜 (文春文庫)最後の将軍―徳川慶喜 (文春文庫)
(1997/07/10)
司馬 遼太郎

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だいぶ前に大河ドラマにもなった作品である。
徳川慶喜。
江戸幕府、最後の将軍ということで、徳川家康、吉宗と同じぐらい劇的な一生を送った徳川将軍である。
また、司馬遼太郎は、歴代将軍の中で、家康、吉宗の他に有能であったのは、慶喜であったと述べている。
まあ、確かに政治家であった。
平和な時代であったり、幕府に優勢な時代であったのなら、普通の有能な将軍として評されていたであろうと思う。
しかし、抗しがたい時勢においては、欠点ばかりが目につくものである。
また、慶喜は、一橋家の養子であり、独自の手勢をあまり持たなかったことも不利であった。
まあ、ともあれ、評価の分かれる人物である。
好意的な人は、明治維新をほぼ無血で成し遂げることができたのは、慶喜のおかげであったと。。。
好意的ではない人は、腹の定まらない人であったと。。。。
松平容保など、最後まで徹底抗戦した方が、一般には受け入れられるものと思われる。

内容の紹介(カバー裏面より引用)
『ペリー来航以来、開国か攘夷か、佐幕か倒幕かをめぐって、朝野は最悪の政治的混乱に陥ってゆく。
文久二年、将軍後見職として華々しく政界に登場したのちの十五代将軍徳川慶喜は、優れた行動力と明晰な頭脳をもって、敵味方から恐れと期待を一身に受けながら、抗しがたい時勢にみずから幕府を葬り去った。』

この人の欠点は、家臣を大事にしなかったことであった。
そのためだけではないだろうが、自分に心酔する謀臣が次々に暗殺され、将軍になってからも、幕臣から慕われなかった。
その時の評判は、家康以来の人物という評価であったが、実際は、裸の王様であったのではなかろうか。
本人もそれを自覚していた節がある。
小手先のことで逃れようとして、根本的解決をしようとはしなかったのではなかろうか。

また、もう一つの欠点としては、腹が定まらないこと、胆力がなかったことであった。
でも、このことは、この時勢に敗軍の将として生き残るためには、プラスに働いたのかもしれない。

慶喜は、日露戦争のころまで、生きたらしい。
晩年は、趣味人として多芸に生きたみたいだ。
松平容保の恨み多い晩年とは、対称的だ。
しかし、薩人に対しては、終生、恨みを隠さなかった。
長州が、はじめから反幕府であったのに対し、薩摩が、途中までは幕府と行動を共にし、時勢によって、反幕府となったのが許せなかったらしい。

読んでいて、どうも慶喜の行動がすっきりしなかったが、本人としては、仕方がないことであったのだろう。
いずれにしても、徳川将軍の中で、五本の指に入る個性を持った人物であることは間違いない。

自分の評価
★★★☆☆55点

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