タヌキおやじの日々の生活 中田正光「村人の城・戦国大名の城」を読破!!     

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中田正光「村人の城・戦国大名の城」を読破!!

凄まじい蒸し暑さだ。
やってられん。

村人の城・戦国大名の城 (歴史新書y)村人の城・戦国大名の城 (歴史新書y)
(2010/04/06)
中田 正光

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北条氏照、滝山城、八王子城に主眼を置いた本ということであまり期待をしていなかったのであるが、これが意外に面白かった。
おそらく、歴史に興味がない人が読んだら、何が面白いのという感じあろうが、歴史マニアには、特に戦国マニアには、戦国時代の国境地帯の人々の生活を知ることができるという意味で面白く読めるだろうと思う。
ちなみに、北条氏照とは、北条氏康の三男であり、豊臣秀吉の小田原征伐の際には、徹底抗戦を主張したので、小田原城開城の後、切腹させられた。
吾輩からすると、無能な人なんじゃないのという印象だが、そうではなく、後北条氏が、関東に進出する際に、多大な功績があったらしい。

内容の紹介(カバーより引用)
『・世の中の常識
戦国時代、大名に支配される領民は、日々緊張の中、合戦の恐怖におののき、戦いが始まると村を焼かれ逃げ惑うだけだった。
・本書の核心
戦国大名は、領内の支配を円滑にするため、領民の言い分も聞き、合戦のおりには、彼らを城内に避難させ、生命・財産を守った。
それに反すれば、領民は敵側に寝返ることさえあった。』

んで、目次はというと、、、
1.北条氏の領国支配と氏照の「地域国家」支配
2.聖なる城・氏照の拠点滝山城
3.境目の番城・「滝の城」と郷村支配
4.年貢米の保管場所・沢山城と江ノ島
5.甲武国境を守る檜原村の武装集団
6.甲武国境の逃亡者の「たまり場」―――小河内村・小菅村
7.境目の城・津久井城と三増峠合戦
8.氏照はなぜ八王子城へ移転したのか?
9.城と避難場所、そして、疫病への恐怖
10.地域国家建設の夢破れる
という感じである。

後北条氏は、関東管領として、関東の覇者になるのが、悲願だったので、関東平野の北・東方面に勢力を伸ばしていったわけであるが、なにもやみくもに領国を増やしていったわけではないようだ。
本書では、現在でいう多摩、八王子、相模原の地域について書いているのだが、多摩で採れる木材を多摩川を利用して、鎌倉などに流通させるために、水運のための拠点を奪取しながら、地域経済を掌握していったそうだ。
そのために、水運を押さえる江戸湾の拠点として江戸城は重要であったらしい。
司馬遼太郎などは、北条一門についてぼろくそに書いているが、決して北条氏照が、まったくの無能な人間だったわけではなく、それなりに考えて、重要な拠点を奪取しているのだ。

そして、氏照は、はじめは、滝山城という八王子市内にあった城を本拠としていた。
が、武田信玄の関東進攻で防御体制の不備が感じられたので、八王子城を築いて、移ったとのこと。
氏照は、八王子城を小田原城と同じような惣構えの城としたかったらしい。
一説によると、北条領国の第二の首都とする意図を持っていたという。
しかし、吾輩は、八王子城に行ったことがあるのでわかるが、あの地形だと、城下町を形成することが難しいと思うのだが。。。。
その辺、どうしても織田氏とかと較べて、北条氏の後進性が感じられてならない。
普請奉行に安土城を見たことのある武将が加わっており、一部、石垣を取り入れているが、木を見て森を見ずなのではないかと思う。

面白いのは、甲州街道沿いの甲武国境の村の支配についての記述だ。
戦国大名であるのなら、当然であろうが、氏照は、甲斐に面する国境の村々の豪族や村人に対して、特別の配慮をしている。
最前線の村が、重要であり、領国で最も危険であるというのは明らかであろう。
境目の村では、年貢の半分を武田氏に、もう半分を北条氏に納めるというようなこともあったらしい。
非常に興味深い記述である。
国境の峠の防御設備についても記述されている。
攻めにくく、守りやすいように、ジグザクに道を作っていたそうな。
また、村人は、自分たちを守るために、自分たちの城というものをもっていた。
このことは、昔読んだ本でも載っていたのを覚えている。

また、籠城の際には、領民を城内に入れて保護したという記載も面白かった。
統治する上で、領民の安全を保障しないと、逃散、人口減少などにより国内の生産性が下がる可能性があったからだ。
しかし、城に人を入れすぎると、困るのが、糞便の処理で、糞便が処理できないことによって、疫病が発生して、病死者が続出することであったようだ。
そんなわけで、衛生の管理は、念入りになされたらしい。
吾輩の認識としては、日本の戦いは、武士同士の戦いというイメージがあったので、籠城戦において、領民も籠城したというのは意外であった。
確かに、「のぼうの城」でも、領民が籠城しているし、八王子城でも領民が籠城している。
また、よく知られた事実だが、小田原城でもそうである。
ただ、これらは、北条氏の例である。
それ以外の例として、九州の有馬城や臼杵城の例を挙げているが、全国的に籠城するときは、領民と一生に籠城するものであったのか、考察してほしいと感じた。

マニア向けの一著である。
戦国マニア必読です。

自分の評価
★★★★☆80点

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