タヌキおやじの日々の生活 渡部昇一「ドイツ参謀本部―その栄光と終焉」を読破!!     

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渡部昇一「ドイツ参謀本部―その栄光と終焉」を読破!!

ドイツ参謀本部-その栄光と終焉 (祥伝社新書168)ドイツ参謀本部-その栄光と終焉 (祥伝社新書168)
(2009/07/28)
渡部 昇一

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ドイツ参謀本部の歴史について書かれた本である。
例によってウィキペディアによると、
『参謀本部(さんぼうほんぶ、英: General Staff office、独: Generalstab)は、軍隊において高級指揮官の作戦指揮を補佐するための合議機関である。
各国における成立の沿革上、また陸軍・海軍で別個の参謀組織がある場合もあり、そのため参謀部、参謀局、軍令部、作戦部、幕僚監部など種々の訳語が充てられることもある。』だそうな。
まあ、参謀というと、一般でもよく使われる言葉だが、参謀本部というと、将軍を補佐する軍師の集団みたいなものかと思われる。
参謀本部のような組織は、今日では、各国の軍隊に取り入れられており、非常な有効性が実証されているのだが、そのような組織をはじめに設立して、ナポレオン戦争、普墺戦争、普仏戦争に勝利したのが、ドイツ、正確にはプロイセンであった。
まあ、日本では、参謀たちが暴走して、その弊害が記憶されている。

目次
第一章 近代組織の鑑―――ドイツ参謀本部
―――フリートリッヒ大王が制限戦争時代に残した遺産
第二章 かくて「頭脳集団」は誕生した
―――ナポレオンを挫折させたプロイセン参謀本部の実力
第三章 哲学こそが、勝敗を決める
―――世界史を変えたクラウゼヴィッツの天才的洞察
第四章 名参謀・モルトケの時代
―――「無敵ドイツ」を創りあげた男の秘密とは何か
第五章 「ドイツの悲劇」は、なぜ起きたか
―――ドイツ参謀本部が内包した”唯一の欠点”
あとがき

30年戦争(1618年~1648年)において、ドイツは人口の三分の一が死亡するような戦禍を被った。
宗教的熱狂によって、起こった戦争が終わる頃には、人々には、宗教には、非常に冷淡になっていたという。
まあ、当たり前かと思う。
そして、その結果、制限戦争時代がはじまる。
どういうことかというと、啓蒙君主たちは、兵力を減ずることを恐れて、戦争はしても戦闘はしたがらなかったというのだ。
だから、敵軍の補給路を断てば、それで戦争が終わるという、非常に死傷率が低い戦争の時代であった。
それが、また、無制限戦争となったきっかけは、ナポレオンの登場であった。
ナポレオンのフランスは、国民皆兵制と師団制を採用し、無類の強さを誇った。
師団制の採用は、軍隊機動の自由度を高めたし、国民皆兵制は、いくら損害を被っても、ほぼ無限に兵力を供給することが可能になった。
歴史は繰り返すというが、国民皆兵制というのは、古代ローマでローマ市民ほぼすべてをローマ軍兵士の対象としたのと、同じだし、師団制というのは、古代ローマの軍団制(レギオン)と性質を同じにする。
そして、ナポレオンのフランス軍にプロイセン軍は、さんざんに蹂躙されるのだが、それに対する対抗策が、参謀本部のもとになる組織の設立であった。
それまでも、兵站を円滑ならしめる参謀本部のもとになるような組織はあった。
しかし、参謀本部設立の立て役者となったシャルンホルストは、作戦立案、研究のための組織として再編した。
シャルンホルスト自身は、ナポレオン戦争のさなか、不遇のうちに死ぬのだが、その後継者であるグナイゼナウは、参謀総長として、プロイセン軍を指導して、勝利に導いた。
ナポレオンのフランス軍は、一人の天才に率いられた軍隊であった。
だから、ナポレオンがいるところのフランス軍は、無類の強さを発揮した。
が、それ以外は、どうであったかというと、無類の強さというわけではなかった。
そこで、プロイセン軍は、フランス軍の弱いところを攻め、ナポレオンが出てくると、整然と退却し、フランス軍が弱体化するのを待ったのである。
これは、ドイツ参謀本部の作戦指導の成果であった。
またまた、歴史は繰り返すというが、これは、古代ローマが、ハンニバル戦争の時に、ハンニバル軍に対してとった行動と同じである。
一人の天才が率いる軍に対して、多数の凡才でどのように勝つかという戦略を示しているし、一人の天才が率いる軍の限界を示している。
その後、プロイセンは、ドイツ民族を統一して、帝政ドイツとなり、参謀本部は、大モルトケが、普墺戦争、普仏戦争を勝利に導き、黄金時代を迎える。
このときは、ビスマルクという政治・外交のリーダーがいて、軍のモルトケとの二人三脚で勝利を得たのであった。
ビスマルクは、外交によって、プロイセンが、多面戦争を行わないように努力し、そのようにした。
しかし、モルトケにしろ、ビスマルクにしろ、ドイツやプロイセンの将来については、楽観はしてなかったようだ。
そして、第一次世界大戦では、軍においては、あとでは、有能な参謀総長を得たが、政治・外交においては、ビスマルクのようなリーダーを持たずに敗北を迎えるのである。
ビスマルクのような政治外交のリーダーを得なかったために、ドイツは、多面戦争を迎えることになったためである。
要するに、軍事と政治・外交の才能のバランスが大切であると。。。。
第二次世界大戦中のドイツ参謀本部については、章を割いていない。
ともあれ、組織というものがどのように変遷していくかというのをよく読み取れて面白い一冊であった。
また、最も興味深かったのは、シャルンホルストが考案したことだが、ドイツ参謀本部では、参謀本部に勤務する将校は、次の勤務地を連隊の将校となるようにし、前線勤務と、参謀本部勤務を交代にするようにしたとのことであった。
参謀の立てる作戦が、現実から遊離することを防ぐためであろう。
この点、純血主義にしてしまった日本軍は、反省するべきであったであろう。
日本では、参謀将校は、ずっと参謀であったように思うし、現実から遊離して作戦を立てていたように思うからだ。
ともあれ、軍事音痴の日本人が教養として読むべき本と思う。

自分の評価
★★★★☆80点

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