タヌキおやじの日々の生活 城郭シリーズ第218弾『飫肥城(その1)』     

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城郭シリーズ第218弾『飫肥城(その1)』

高速道路と一般道をぶっとばすこと、1~2時間、飫肥城に到着する。
小村寿太郎の生誕の地である。

ここで、飫肥城の説明。
飫肥城とは、、、、
宮崎県日南市にある群郭式平山城。
江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として栄えた。
飫肥市街北部の丘陵に曲輪を幾つも並べた城だそうな。

歴史(例によってウィキからパクリ)
飫肥城は、土持氏が南北朝時代に築城したのが始まりと伝えられ、飫肥院とも呼ばれていた。
1458年に、薩摩の島津氏が、鎌倉時代から日向で勢力を蓄えてきた伊東氏の南下に備えて、新納忠続を飫肥城に入城させた。
戦国初期は薩摩国の戦国大名島津氏の属城で、はじめ築城主の土持氏が治めていた。
1484年に、伊東氏が土持氏を裏切り飫肥に侵攻し、当時の当主である伊東祐国が戦死すると、伊東氏の本格侵攻を恐れた島津氏は、領土の割譲と戦の原因となった飫肥城主の交代によって急場を凌いだ。
その後も伊東氏による飫肥侵攻が断続的に続けられることとなる。
1567年に、念願かなって飫肥城を奪取した伊東義祐(祐国の孫)は、子の祐兵に飫肥の地を与えた。
1572年に、伊東氏が木崎原の戦いをきっかけに没落すると、日向国全土を島津氏が治めるところとなり、飫肥も再び島津氏の支配するところとなった。
その後、飫肥を失った伊東祐兵が羽柴秀吉に仕え、九州征伐に参加し活躍した戦功により再び飫肥の地を取り返し、大名として復活を成し遂げた。
以後、廃藩置県で飫肥藩が廃止されるまで伊東氏の領するところとなった。

まあ、要するに、島津氏と伊東氏の取り合いになった城である。
日露戦争時の外相である小村寿太郎の出身地ということでも有名。

飫肥城スタンプゲット。
これで、80/100名城攻略達成。
飫肥城スタンプ

飫肥城と城下の地図。
飫肥城地図

地図中の①の場所。
大手門。
飫肥城001-1

同じく。
飫肥城001-2

大手門前の空堀。
この辺りは、火山灰の地層なので、水堀にできないそうな。
飫肥城001-3

大手門を突破し、城内へ。
飫肥城001-4

城内から見た大手門。
飫肥城001-5

地図中の②の場所。
飫肥城002-1

本丸方面。
飫肥城002-2

櫓台らしい。
飫肥城002-3

本丸への門。
飫肥城002-4
城郭シリーズ第219弾『飫肥城(その2)』に続く。

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グーグルマップ上で見る日本の城郭

参考
よみがえる日本の城 (18) (歴史群像シリーズ)よみがえる日本の城 (18) (歴史群像シリーズ)
(2005/06)
不明

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※飫肥城も収録

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  • 2013-12-23 09:01

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Author:tatsunootoshigo
関東育ちの三十路親父です。
今は、関東に住んでいます。
現在、日本百名城攻略中!!
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「はやきこと風の如く、
 静かなること林の如し、
 攻めること火の如く、
 動かざること山の如し」。
よろしくです。
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