タヌキおやじの日々の生活 石野博信、金井塚良一他「古墳とは何か―祭と政の象徴」を読破!!     

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石野博信、金井塚良一他「古墳とは何か―祭と政の象徴」を読破!!

古墳とは何か―祭と政の象徴 (石野博信討論集)古墳とは何か―祭と政の象徴 (石野博信討論集)
(2013/03/15)
石野 博信、金井塚 良一 他

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以前、読んだ「石野博信討論集」シリーズの一冊。
「邪馬台国とは何か―吉野ヶ里遺跡と纒向遺跡」は、邪馬台国がどこにあったかについて討論していたが、今度は、古墳について討論する。
パワースポットであるとか言われている古墳だが、グーグルマップで見ると、大阪には、大きい古墳がうじょうじょあるのに驚いた。
そんなわけで、古墳に興味を持ち、本書を読んでみた次第。

目次
はじめに
古墳の発生―方形周溝墓と前方後円墳をめぐって
出現期の古墳をめぐって
古墳はなぜつくられたか
前方後円墳の出現
謎の五世紀

なんでも、古墳の発生にも、いろいろな段階があるらしい。
石野氏によると、弥生時代後期には、古墳と呼べるものが建造されていたと。。。
鏡については、九州の方がたくさん発掘されていて、九州の先進性が推測されるが、どうも前方後円墳については、畿内が発祥で、全国に広まっていったとのこと。
我輩が大雑把に読み取ったところによると、弥生時代中期ぐらいまでは、九州が進んだところであったようだが、だんだんと、中心が畿内方面に移っていくと。。。。
そこらへんで、邪馬台国が九州にあったか、畿内にあったかということでもめてるらしい。
山城という高地性集落は、九州にはあまりなく、中国地方、畿内地方と時代を経るにつれて、その存在が、東に移っていくそうな。
それが何を意味するかというと、九州の人たちが、勢力を東に伸ばしていったのではなかろうかと言っている。
確実に言えるのは、古墳時代になると、平和がやってきて、人口爆発がおき、巨大な古墳を作れるようになったということらしい。
我輩が推測するには、空白の四世紀という、中国の文献にも載っていない日本の歴史の空白期間に、邪馬台国の後継である初期大和王権が日本のおおよそを統一したのであろうと思う。
そして、統一に使った兵力を朝鮮半島に進出するために使い、任那を支配したと。。。
朝鮮の高句麗の広開土王の石碑には、倭(日本)と戦って勝ったという記述があるらしいが、そのような過程でこの石碑が建てられたものと思う。
話は変わるが、なんか、吉備地方(岡山)の古墳は、全国でも特異であるらしい。
温羅伝説の関連性とか討論してほしかったが、そこには触れられていなかった。
今までは、古代史には興味を持たなかったのだが、古代史の面白さに目覚めた今日この頃。
これから、古代史の本も読んでいく予定。

自分の評価
★★★☆☆60点

関連記事
石野博信、森浩一他「邪馬台国とは何か―吉野ヶ里遺跡と纒向遺跡」
※「石野博信討論集」シリーズ。

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