その城下町が、うだつの町並みで有名。
うだつの町並みも見たが、写真に撮り忘れた。
脇城(わきじょう)は、徳島県美馬市脇町大字脇町にあった日本の山城。
歴史
戦国時代に脇権守という人物が館を構えたのが始まりであると云われている。
1533年に、三好長慶が築城し、三河守兼則が守護した。
その後、三好家の家臣の武田信顕が城主となった。
1583年に、長宗我部元親の阿波侵攻により落城した後は長宗我部親吉が守った。
しかし、1586年に、羽柴秀吉の四国攻めに際して、羽柴秀次の軍に屈して降伏、開城した。
蜂須賀家政が阿波国の領主となると、阿波九城の一つと位置づけられた。
家政は特に脇城を重要視し、家臣団の筆頭である家老の稲田植元を城代として置いた。
しかし、一国一城令により、1638年に廃城となった。
山登りである。
しかし、この後、道が分からなくなり撤退。
これが、城山。
虎伏山というらしい。
その後、撫養街道をぶっとばし、池田へ。
大西城の跡地には、池田高校とかがある。
大西城(おおにしじょう)は、徳島県三好市池田町ウエノにあった日本の平山城。
別名は池田城。
歴史
1221年に、承久の乱で功績をあげた小笠原長清が阿波国守護に任ぜられ、その息子である小笠原長経が守護代として下向し築城する。
その後、小笠原氏は三好氏に改姓して勝瑞城に移る。
1585年に、蜂須賀家政が阿波国の領主となり、阿波九城となったが、一国一城令により廃城となる。
大西城があった頃からあったという並木の案内板。
これがその並木。
続いて、遺構である石垣の案内板。
石垣。野面積みである。
同じく。
同じく。
同じく。
感想
脇城は、なんの遺構も発見できなかったが、大西城は、なんとなく、築城思想みたいなものを感じられてよかった。
昔の人は、うまいところに城を作るものだ。
これで阿波九城攻略達成。
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※以上、阿波九城。
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